公的年金と老後用貯蓄
−公的年金は今後の個人貯蓄率の低下を緩和する−



郵政研究所第二経営経済研究部長:浜田浩児



要旨
 公的年金は、老後用貯蓄の必要性を低下させる一方で、その取崩しの必要性も低下させる。公的年金の導入時には、前者の効果しか働かないため、個人貯蓄率は低下するが、導入段階経過後は必ずしもそうではない。本稿では、この点について、簡単な部分均衡的世代重複モデルによって実証分析を行う。その結果、高齢化の進む今後の日本においては、公的年金による老後世代の貯蓄取崩しの減少が現役世代の貯蓄の減少より大きいため、公的年金が個人貯蓄率の低下を緩和すると見込んでいる。


1.はじめに

 個人貯蓄はさまざまな目的で行われるが、その中で老後生活への備えが重要なウエイトを占めることは、ホリオカ、渡部(1996)等に示されているところである。この老後への備えという点では公的年金も同様であるから、公的年金によって老後用貯蓄の必要性は低下する。しかし、老後用貯蓄は蓄積されたままではなく老後に取り崩されて消費されるのであり、公的年金はこの貯蓄取崩しの必要性も低下させる。したがって、公的年金が個人貯蓄に及ぼす影響は、それによる現役世代の貯蓄の減少と老後世代の貯蓄取崩しの減少のどちらが大きいかに依存する。本稿では、高齢化の進む今後の日本においては後者の効果の方が大きく、公的年金が個人貯蓄率の低下を緩和することを示す。

 以下、第2節で、簡単な部分均衡的世代重複モデルによって、公的年金が個人貯蓄率の低下を緩和する条件等を求める。第3節では、それに基づいて、今後の日本における公的年金の個人貯蓄に対する影響を分析する。最後に、第4節で本稿の結論と留意事項を述べる。

2.公的年金が個人貯蓄に及ぼす影響

(1)各個人の貯蓄行動

 以下では、生涯は現役期間と老後期間の2期間からなるものとし、貯蓄は老後目的のもののみとする。これに対応して、公的年金についても老齢年金のみを考慮する。

 また、貯蓄は個人年金の形で行われ、寿命のリスクは回避されているものとする。したがって、代表的個人については寿命は確定とみなせる。また、物価や賃金の上昇にも不確実性がないものとする。

 さらに、個人の効用は、一般的な生活水準に対する当該個人の消費の比率である相対的消費水準に依存するものとする。公的年金や生活保護の給付が、物価に加えて実質的な生活水準の上昇にもスライドしているのは、個人の効用が相対的消費水準に依存することを反映していると思われる。物価スライドだけでは、たとえば、現在、30年前の平均的な消費しかできないことになり、かなりみじめな思いをすることになるであろう。ただし、後述のように、個人の効用が物価でデフレートした実質消費に依存すると仮定しても結論は同様である。

 以上の前提の下で、加法分離性のある通時的効用関数を仮定すると、生涯効用Uは、

と表わせる。ここで、tは時点、Latは現役期間、Lβ+1は老後期間、Catは現役期間の消費、C β+1は老後期間の消費、ytは賃金、gt+1は賃金上昇率、δは時間選好率である。また、uは各期の効用関数であり、どの期も同じと仮定する。

さらに、uを相対的危険回避度R一定と特定化すると、

となる。すなわち、R=xu"/u'=γで一定である。また、より、この効用関数は連続である。したがって、生涯効用関数は、

となる。

一方、生涯における予算制約式は、

と表わせる。ここで、iは名目利子率、ptは公的年金の保険料率、aは年金給付水準(公的年金の賃金に対する比率)である。年金給付水準は時点にかかわらず一定であり、賦課方式によってまかなわれるものとする(もし公的年金が賦課方式ではなく積み立て方式によってまかなわれるならば、前述のように寿命は確定とみなされるから、公的年金と個人貯蓄は同等になる。)。したがって、現役世代の老後世代に対する人口比率を1+πtとすると、p t=a/1+πtとなる。これを[2]式に代入すると、

個人は、[3]式を制約条件として生涯効用関数[1]を最大化するから、

とすると、γ≠1,γ>0のとき、

γ=1のとき、

したがって、

ここで、

である。

(2)マクロの個人貯蓄率

t期における現役世代の貯蓄sαt 、老後世代の貯蓄sβt は、[4]式より、

となる。aの符号より、公的年金によって現役世代の貯蓄は減少するが、老後世代の貯蓄 取崩しも減少するといえる。

マクロの個人貯蓄率をSRtとすると、

したがって、

であれば、現役世代の貯蓄減少効果を老後世代の貯蓄取崩し減少効果が上回り、公的年金によってマクロの個人貯蓄率は上昇する。

ここで、1+πt/lt+1は、1歳当たり人口でみた現役世代の老後世代に対する比率であるから、人口増加率に1を加えたものと考えられるので、[6]式の左辺は、名目経済成長率を利子率で割り引いた割引経済成長率といえるものに1を加えたものとみなせる。また、[6]式の右辺は、

と近似できるから、左辺の前期比とみなせる。したがって、[6]式の条件は、名目経済成長率の利子率に対する比率がその前期比より小さい場合に公的年金によってマクロの個人貯蓄率が上昇すると解釈できる。

 なお、今後の日本のように高齢化が急速に進むと見込まれる場合には、

となるから、[6]式の右辺は、

よりも小さい。このため、[6]式が成立すれば、[5]式より、公的年金が存在しない場合(a=0の場合)の個人貯蓄率は負になる。したがって、[6]式が成立する場合には公的年金によってマクロの個人貯蓄率が上昇するというよりも、マクロの個人貯蓄率の低下が緩和されるという方が適切であろう。逆に、公的年金が存在しない場合の個人貯蓄率が正であれば、[6]式が成立せず、公的年金によってマクロの個人貯蓄率が低下する。したがって、公的年金はマクロの個人貯蓄率の変動を小さくする効果があると考えられる。

 ところで、[5]式を現役世代の老後世代に対する人口比率1+πで微分すると、

となる。[7]式の〔 〕内は[5]式の〔 〕内よりも小さいから、[5]式のaの係数が正であれば[7]式のaの係数は負になる。したがって、公的年金のマクロの個人貯蓄率に対する効果が正である場合には、公的年金は、現役・老後人口比率の低下によるマクロの個人貯蓄率の低下幅を小さくする。

 また、[5]式を賃金の前期比で微分すると、

となるから、γが通常想定されるように1以上であれば、公的年金は、賃金上昇率(1人当たり名目経済成長率)の低下によるマクロの個人貯蓄率の低下幅を小さくする。

 以上のように、名目経済成長率の利子率に対する比率がその前期比より小さい場合には、公的年金はマクロの個人貯蓄率低下を緩和する。また、高齢化や経済成長率低下によるマクロの個人貯蓄率低下も緩和する。

(3)マクロの個人貯蓄ストック

公的年金は、マクロの個人貯蓄フローに対しては正の効果を及ぼす場合があるが、マクロの個人貯蓄ストックに対する公的年金の効果は常に負になる。これは、貯蓄ストックは、公的年金が老後世代の貯蓄取崩しを減少させる効果には関係がないためである。

 生涯における予算制約式により生涯貯蓄は0になるから、t期末の貯蓄ストックは、t期における老後世代やそれ以前の世代には関係なく、t期における現役世代の貯蓄のみからなる。すなわち、t期末におけるマクロの貯蓄ストックの対賃金比率SSRtは、

となり、公的年金によって低下する。

このように、マクロの個人貯蓄ストックは、公的年金による現役世代の貯蓄減少効果のみを受けるため、公的年金によって減少する。

 これは、公的年金の導入時にマクロの個人貯蓄フローが同様の効果を受けることを反映している。導入時には、現役世代は公的年金から貯蓄行動に影響を受けるが、老後世代は、貯蓄期である現役期間がすでに終わっているため、貯蓄行動に影響を受けず、公的年金収入は消費される。

 すなわち、τ期に公的年金が導入されたとすると、τ期における現役世代の貯蓄Sατ、老後世代の貯蓄Sβτ は、[4]式より、

となる。aの符号より、公的年金によって現役世代の貯蓄は減少するが、老後世代の貯蓄取崩しには変化がない。したがって、τ期におけるマクロの個人貯蓄率SRτ は、

となるから、公的年金は、導入時にはマクロの個人貯蓄率に負の影響を及ぼす。

 以上のように、公的年金は、導入時にマクロの個人貯蓄フローを減少させることにより、マクロの個人貯蓄ストックも減少させる。

3.日本における公的年金の個人貯蓄に対する影響

 日本では、現在の老後世代の現役時代から公的年金制度が存在しており、公的年金はほぼ成熟化し、導入段階は過ぎたといえるが、現在のところ、団塊の世代が現役期間にあることもあって、現役世代の人口の老後世代に対する比率が、現役期間の老後期間に対する比率をかなり上回っているため、[6]式の左辺が右辺より大きく、公的年金はマクロの個人貯蓄率に負の影響を及ぼしていると考えられる。

 しかし、「日本の将来推計人口(1997年1月推計)」(国立社会保障・人口問題研究所)に示されているように、出生率の低下等により、今後、現役・老後人口比率が大幅に低下する一方、寿命の延びは緩やかなものに止まることから現役・老後期間比率はそれほど低下しないと見込まれる。このため、両者の比率を要素とする[6]式の左辺も大きく低下していくと予想される。ただし、現役・老後人口比率の低下の速度はあまり変化しないと見込まれるため、現役・老後人口比率の変化率を要素とする[6]式の右辺は左辺ほど低下しないと予想される。したがって、今後、公的年金がマクロの個人貯蓄率に及ぼしている負の影響は小さくなっていき、さらには、正に転化していくと見込まれる。

(1)相対的危険回避度と時間選好率の推定

[5],[7],[8]式には相対的危険回避度γと時間選好率δが含まれているので、公的年金がマクロの個人貯蓄率に及ぼす影響を求めるためには、これらを推定する必要がある。

 より一般的に多期間モデルを考え、やはり相対的危険回避度一定で加法分離性のある通時的効用関数を仮定すると、生涯効用Uは、

と表わせる。一方、生涯における予算制約式は、

,(Y0は生涯所得の現在価値、Lは生涯期間)と表わせる。

個人は、[10]式を制約条件として生涯効用関数[9]式を最大化するから、

γ≠1,γ>0の場合の式は、γ=1を代入するとγ=1の場合の式と同じになるから、γ=1の場合にも当てはまる。したがって、

これに基づき、[11]式を非線形最小二乗法で推定することにより、相対的危険回避度γと時間選好率δを求めた。データについては、消費と賃金は「国民経済計算」(経済企画庁)の家計最終消費支出と可処分所得を「人口推計月報」(総務庁)の総人口で割ったもの、利子率は「銀行局金融年報」(大蔵省)の生命保険会社の資産運用利回りを用いた。また、推定期間は、「国民経済計算」の計数の増加率が得られる1956年度から、1994年度までである。ただし、チャウ検定により、1980年度以降構造変化が生じていることが1%有意水準で認められたため、1956〜1979年度と1980〜1994年度の二期間に分けて推定を行った。

 推定結果は第1表のとおりである。相対的危険回避度の推定値は、1956〜1979年度について3.0、1980〜1994年度について2.5であるが、一方の期間の推定値が他方の信頼区間に含まれていることから、両期間で有意な差はない。相対的危険回避度については、Szpiro(1986)において、保険需要に基づく推定が各国に関して行われているが、その中で、日本の推定値は2.7程度、95%信頼区間は2〜4となっており、ここでの推定結果に近い。一方、時間選好率の推定値は、1956〜1979年度についてー3.8%、1980〜1994年度について1.2%で、信頼区間の数値にみられるように両期間で有意に異なっており、構造変化はこちらに生じていると考えられる。これは、高度成長期には将来がより重視されていたとも解釈できよう。時間選好率については、さまざまに想定されており、Auerbach、Kotlikoff(1987)には実証結果は乏しいと述べられている。

 このように、時間選好率の推定値は両期間で異なるが、本稿では将来について公的年金の影響を推計するため、より現在に近い1980〜1994年度の推定値1.2%を用いる。相対的危険回避度についても、同期間の推定値2.5を用いることとする。

(2)完全賦課方式の公的年金の影響

 まず、仮想的に、第2節のモデルに即した完全賦課方式の公的年金を考え、今後のマロの個人貯蓄率に対する影響を推計すると、第2表のようになる。

 同表では、基礎年金制度に即して20歳から60歳までを現役、65歳以降を老後とし、「日本の将来推計人口(1997年1月推計)」に基づいて現役・老後期間比率及び現役・老後人口比率を推計した。ただし、現役世代はその中間年である40歳の者で代表し、それに合わせて、老後期間は25年後の65歳の平均余命で代表した。

 また、割引賃金前期比は、老後期間の中間年と現役期間の中間年との賃金比率(約35年分)を利子率で割り引いたものであり、「平成6年財政再計算」(厚生省)で想定された標準報酬上昇率年4.0%、利子率年5.5%に基づいて推定した。ただし、平成8年改正により年金額が標準報酬ではなく可処分所得にスライドすることとなったため、ここでの賃金上昇率も税・社会保障負担率の上昇分を除いたものにする必要がある。そこで、税・社会保障負担率については、「家計調査」(総務庁)が全国ベースで行われるようになった1963年と1994年の比較に基づき、今後年0.2%ポイント上昇していくと想定した。なお、現状では、税・社会保障負担の中で個人の直接的な負担は他の負担(法人負担、間接税等)よりも小さいが、今後もこの状況が続くとすると、国民負担率は年0.4%ポイント以上上昇していき、2025年には50%台になる。これは、厚生省、経済企画庁等による国民負担率の予測とおおむね整合的と思われる。

 以上の現役・老後期間比率、現役・老後人口比率、割引賃金前期比から、[6]式の左辺に当たる割引経済成長率を導出し、さらに、その前期比を[6]式の右辺に沿って求めた。また、被扶養配偶者を考慮した基礎年金(保険料によってまかなわれる部分のみ)及び厚生年金のモデル年金額の可処分所得年額に対する比率から年金水準aを求め、これに基づき[5]式により、公的年金によるマクロの個人貯蓄率の変化を推計した。ただし、このモデル年金額の水準(可処分所得年額の41%)は、1992年9月の人口推計に基づく財政再計算で支給可能とされているものの、1997年1月の人口推計ではそれよりも高齢化が進むと見込まれており、何らかの方法で年金給付費を削減しなければならなくなるであろう。そこで、1997年人口推計の高齢化ピーク時の現役・老後人口比率が1992年人口推計を下回る程度に比例して年金水準も引き下げられると想定して、年金水準aを約35%とした。さらに、これに基づき、[7]式により、現役・老後人口比率の低下によるマクロの個人貯蓄率の低下を公的年金が緩和する効果、[8]式により、賃金上昇率(1人当たり名目経済成長率)の低下によるマクロの個人貯蓄率の低下を公的年金が緩和する効果を推計した。

 第2表の推計結果をみると、割引経済成長率は、現役・老後人口比率とともに大幅に低下していく一方、その前期比は、現役・老後人口比率の低下を反映して1より小さいものの、0.9前後でそれほど大きい変動はない。この結果、割引経済成長率は、現在はその前期比を上回っているが、2000年を過ぎる頃から前期比を下回るようになると見込まれる。このため、公的年金によるマクロの個人貯蓄率の変化も、現在では負であるものが2000年過ぎには正になり、2025年には4.9%、2060年には10.1%に上昇すると見込まれる。

 また、現役・老後人口比率の1低下による個人貯蓄率低下の公的年金による緩和分は、1995年で1.7%と現状で正であり、2025年に6.3%、2060年に9.6%へ上昇していくと予想される。賃金上昇率の1低下による個人貯蓄率低下の公的年金による緩和分も、1995年で0.38%と正であり、2025年に0.50%、2060年に0.55%へ上昇していくと予想される。なお、ここで 賃金上昇率の1低下というのは、老後期間の中間年と現役期間の中間年との間 (約35年間)についてのものであり、年率ではない。

以上のように、完全賦課方式の公的年金には、今後の人口高齢化によるマクロの個人貯蓄率低下を緩和する効果がある。

(3)現実の公的年金の影響

 現実の公的年金は、賦課方式の性格が強いが、所要額の一部ではあるものの積立金が存在し、積立方式の要素もある。このように、現実の公的年金は、完全な賦課方式ではないため、a/pt=1+πtは成立しない。したがって、t期における現役世代の貯蓄Sαt、老後世代の貯蓄Sβtは、

と表現されるから、マクロの個人貯蓄率は、

となる。このため、公的年金によってマクロの個人貯蓄率の低下が緩和される条件である[6]式は、

となる。

[6’]式の左辺は、完全賦課方式の場合の[6]式と同じである。また、「財政再計算」によれば、年金給付水準aはほぼ一定に保たれる一方、保険料率Ptは高齢化に伴い引き上げられることとされているため、a/ptは1+πtとともに低下していくことから、[6’]式の右辺は、[6]式と似た動きになると考えられる。したがって、[6’]式の左辺は、高齢化に伴い大幅に低下して右辺を下回るようになり、現実の公的年金がマクロの個人貯蓄率に及ぼす影響は正になっていくと見込まれる。現役・老後人口比率や経済成長率の低下によるマクロの個人貯蓄率の低下についても、完全賦課方式の場合と同じく、現実の公的年金はそれを緩和する効果があると考えられる。

(1) 基礎年金の影響

 基礎年金のマクロの個人貯蓄率に対する影響を推計すると、第3表のようになる。

 同表では、基礎年金の被保険者の年齢範囲及び年金支給開始年齢についての原則に基づき、20歳から60歳までを現役、65歳以降を老後とした。これは、(2)で述べた完全賦課方式の場合と同じであり、現役・老後期間比率、現役・老後人口比率、割引賃金前期比についても同じ想定をしている。このため、割引経済成長率も完全賦課方式と同じ値になっている。

 また、その前期比の推計は、現役・老後人口比率でなく年金・保険料比率によっている以外は完全賦課方式の場合と同じである。年金・保険料比率については、第1号被保険者の保険料を用い、現役世代はその中間年の年齢の者、老後世代は65歳に平均余命の半分を加えた年齢の者の値で代表し、「平成6年財政再計算」に基づいて推計した。ただし、この財政再計算は1992年人口推計によっており、1997年人口推計ではそれよりも高齢化が進むと見込まれているため、何らかの方法で年金給付費を削減しなければならなくなり、年金・保険料比率は財政再計算よりも小さくなるであろう。そこで、1997年人口推計の現役・老後人口比率が1992年人口推計を下回る程度に比例して、年金・保険料比率も小さくなると想定した。前期比の数値は、当座は、年金・保険料比率の大きい公的年金導入時の影響が若干残っているため、完全賦課方式の場合よりも小さいが、2010年頃からほぼ同様の推移を示すようになる。

 したがって、完全賦課方式の場合の第2表と同様に第3表でも、割引経済成長率は、現在はその前期比を上回っているが、2000年を過ぎる頃から前期比を下回ることになる。このため、基礎年金のモデル年金額(保険料によってまかなわれる部分のみ)の可処分所得年額に対する比率に基づき、「平成6年財政再計算」の基礎になった1992年人口推計よりも高齢化が進む見込みであることも考慮し、年金水準を可処分所得年額の約10%として、基礎年金によるマクロの個人貯蓄率の変化を推計すると、現在では負であるものが2000年過ぎには正になり、2025年には1.5%、2060年には2.8%に上昇すると見込まれる。

 また、現役・老後人口比率の1低下による個人貯蓄率低下の基礎年金による緩和分は、1995年で0.5%と現状で正であり、2025年に1.8%、2060年に2.7%へ上昇していくと予想される。賃金上昇率の1低下による個人貯蓄率低下の基礎年金による緩和分も、1995年で0.11%と正であり、2025年に0.14%へ上昇していくと予想される。これらの傾向も、第2表と同様である。

 なお、ここでは、公的年金のうち保険料によってまかなわれる部分(年金額の3分の2 )のみを考慮した。これは、基礎年金の3分の1をまかなう国庫負担の財源の特定が困難なため、これに対応する年金額を除いたものであるが、国庫負担の一部は所得税等の形で個人が負担しているから、この点では、基礎年金がマクロの個人貯蓄率に及ぼす影響は第3表の推計値よりも大きいと思われる。

(2) 厚生年金の影響

 厚生年金のマクロの個人貯蓄率に対する影響を推計すると、第4表のようになる。

 基礎年金が現役時代の賃金(標準報酬)にかかわりなく定額であるのに対し、厚生年金は現役時代の賃金に比例する仕組みになっているため、推計に当たっては平均的な賃金の者で代表した。ただし、経過的には、厚生年金も定額の部分(特別支給の年金の定額部分)を一部含むが、これは控除して推計した。一方、厚生年金の保険料には、基礎年金や上記の定額部分をまかなう分も含まれているため、これらを控除した。控除額の推計は、基礎年金の保険料に基づき、被扶養配偶者の分等も考慮して行った。

 また、厚生年金では、年金支給開始年齢が60歳であるため、20歳から60歳までを現役、60歳以降を老後とし、年金・保険料比率も、現役世代はその中間年である40歳の者、老後世代は60歳に平均余命の半分を加えた年齢の者の値で代表した。このため、現役・老後期間比率や現役・老後人口比率は、基礎年金や完全賦課方式の公的年金とはかなり異なっているが、割引経済成長率が現役・老後人口比率とともに大幅に低下していく一方、その前期比は0.9前後でそれほど大きく変動しないという傾向は同様である。

 したがって、第4表における厚生年金によるマクロの個人貯蓄率の変化も、第2表や第3表と同様の傾向を示している。すなわち、厚生年金のモデル年金額の可処分所得年額に対する比率に基づき、「平成6年財政再計算」の基礎になった1992年人口推計よりも高齢化が進む見込みであることも考慮し、年金水準を可処分所得年額の約21%として、厚生年金によるマクロの個人貯蓄率の変化を推計すると、現在では負であるものが2000年過ぎには正になり、2025年には3.2%、2060年には6.1%に上昇すると見込まれる。

 また、現役・老後人口比率の1低下による個人貯蓄率低下の厚生年金による緩和分は、1995年で1.8%と現状で正であり、2025年に5.5%、2060年に7.7%へ上昇していくと予想される。賃金上昇率の1低下による個人貯蓄率低下の厚生年金による緩和分も、1995年で0.10%と正であり、2025年に0.18%、2060年に0.20%へ上昇していくと予想される。これらの傾向も、第2表、第3表と同様である。

 以上のように、現実の公的年金にも、完全賦課方式の場合と同様に、今後の人口高齢化によるマクロの個人貯蓄率低下を緩和する効果がある。

(4)効用が実質消費に依存する場合

 はじめに述べたように、本稿では、個人の効用は、一般的な生活水準に対する当該個人の消費の比率である相対的消費水準に依存するものと想定している。しかし、公的年金がマクロの個人貯蓄率に及ぼす影響がどのようになるかは割引経済成長率によるところが大きいため、個人の効用が物価でデフレートした実質消費に依存すると仮定しても結論はほぼ同様である。

 第2節の変数を実質単位で測られたものと定義し直すと、生涯効用Uは、実質消費に依存する場合、

と表わされる。割引率は、実質消費の伸びが相対的消費水準の伸びより賃金上昇分大きいのに対応して、(1+gt+1)(1+δ)となると考えられる。

 一方、予算制約式は第2節と同じであり、個人は、この制約条件の下で生涯効用を最大化するから、第2節と同様の計算により、

となる。

 したがって、t期における現役世代の貯蓄Sαt 、老後世代の貯蓄Sβtは、

となる。aの符号より、第2節と同じく、公的年金によって現役世代の貯蓄は減少するが、老後世代の貯蓄取崩しも減少するといえる。

 マクロの個人貯蓄率をSRtとすると、

したがって、

であれば、現役世代の貯蓄減少効果を老後世代の貯蓄取崩し減少効果が上回り、公的年金によってマクロの個人貯蓄率は上昇する。

 [6'']式の左辺は第2節の[6]式の左辺と同じである。また、[6'']式の右辺は、と近似でき、これは、[6]式の左辺の近似式と同じである。[5’]式のaの計数も、

と近似でき、[5]式のaの計数の近似式と同じになる。

 したがって、公的年金がマクロの個人貯蓄率に及ぼす影響は、第2節とほぼ同様になると考えられる。

 ちなみに、完全賦課方式の場合における公的年金によるマクロの個人貯蓄率の変化を推計すると、第5表のようになる。割引経済成長率は、効用が相対的消費水準に依存するという想定に基づいた第2表と同じであり、その前期比も第2表よりやや大きい程度である。この結果、公的年金によるマクロの個人貯蓄率の変化も、第2表と同様、現在では負であるものが2000年頃には正になり、2025年には5.7%、2060年には8.7%程度に上昇すると見込まれる。

 なお、[5’]式を現役世代の老後世代に対する人口比率1+πtで微分すると、

となる。[7’]式の〔 〕内は[5’]式の〔 〕内よりも小さいから、[5’]式のaの係数が正であれば[7’]式のaの係数は負になる。したがって、第2節と同様、公的年金のマクロの個人貯蓄率に対する効果が正である場合には、公的年金は、現役・老後人口比率の低下によるマクロの個人貯蓄率の低下幅を小さくする。また、[5’]式を賃金の前期比で微分すると、

となるから、第2節と同様、公的年金は、賃金上昇率(1人当たり名目経済成長率)の低下によるマクロの個人貯蓄率の低下幅を小さくする。

 以上のように、個人の効用が相対的消費水準ではなく実質消費に依存すると仮定しても、公的年金がマクロの個人貯蓄率に及ぼす影響はほぼ同様である。

4.結論と留意事項

公的年金は、老後用貯蓄の必要性を低下させる一方で、その取崩しの必要性も低下させる。公的年金の導入時には、前者の効果しか働かないため、マクロの個人貯蓄率は低下するが、導入段階経過後は必ずしもそうではない。すなわち、名目経済成長率の利子率に対する比率がその前期比より小さい場合には、公的年金による現役世代の貯蓄の減少を老後世代の貯蓄取崩しの減少が上回り、公的年金はマクロの個人貯蓄率低下を緩和する。

 日本では、公的年金はほぼ成熟化し、導入段階は過ぎたといえるが、現在のところ、現役世代の人口の老後世代に対する比率がまだかなり大きいため、公的年金はマクロの個人貯蓄率に負の影響を及ぼしていると考えられる。しかし、急速な高齢化により、今後、名目経済成長率の利子率に対する比率が大きく低下し、その前期比より小さくなると予想されるため、公的年金は、マクロの個人貯蓄率低下を緩和するようになると見込まれる。また、公的年金は、現役・老後人口比率や経済成長率の低下によるマクロの個人貯蓄率の低下も緩和する効果があると考えられる。

 ただし、これらは、貯蓄を老後目的のもののみとした場合の結論であり、他の貯蓄目的も考慮する必要がある。「家計における金融資産選択に関する調査(平成6年度)」(郵政省郵政研究所)では、貯蓄目的として、老後生活への備えをはじめ、病気、災害等への備え、子供の教育費、住宅の取得、耐久消費財の購入、レジャー、安心(特に目的はないが貯蓄をしていれば安心だから)、遺産等合わせて12の目的について調査している。また、ホリオカ、渡部(1996)によれば、この中で、老後目的とともに予備的動機(病気目的、安心目的)が最も重要であるとのことである。

 そこで、老後目的の貯蓄率が1%ポイント低下するとそれ以外の目的の貯蓄率が何%ポイント上昇するかという代替率をφとすると、老後目的以外のマクロの個人貯蓄率SROt

となるから、

であれば、公的年金によって老後目的以外のマクロの個人貯蓄率は低下する。

 現役世代の代替率φαt が老後世代の代替率φβt 以下の場合、[6]式が成立すれば[6''']式も成立するから、公的年金によって老後目的のマクロの個人貯蓄率が上昇するとき、それ以外のマクロの個人貯蓄率は低下する。したがって、公的年金がマクロの個人貯蓄率低下を緩和する効果は、本稿で推計したよりも小さくなる。これに対して、現役世代の代替率φαtが老後世代の代替率φβt よりかなり大きい場合、[6]式が成立しても[6''']式は成立しないから、公的年金によって老後目的のマクロの個人貯蓄率が上昇するとき、それ以外のマクロの個人貯蓄率も上昇する。したがって、公的年金がマクロの個人貯蓄率低下を緩和する効果は、本稿で推計したよりも大きくなる。

 また、本稿では、公的年金がない場合の老後生活費は、すべて個人貯蓄によってまかなわれると仮定したが、子が親の面倒をみるという私的扶養でまかなわれる面も一部ある。このため、公的年金は、全て個人貯蓄に代替するのではなく、一部私的扶養にも代替するから、その分、公的年金の個人貯蓄率に対する影響は小さくなる。

 さらに、賃金上昇率と利子率の想定の仕方で推計結果は異なってくる。本稿では、「平成6年財政再計算」に基づき、利子率が賃金上昇率を約1.7%上回ると想定したが、この差がもっと小さければ、名目経済成長率の利子率に対する比率が大きくなるから、公的年金のマクロの個人貯蓄率に対する効果が小さくなる。

 これ以外にも、公的年金が退職を促進して早期退職に備えた個人貯蓄を増加させる効果、公的年金が貯蓄性向の高い高所得層から貯蓄性向の低い低所得層への所得再分配を通じて個人貯蓄を減少させる効果の有無等も検討する必要があろう。



参考文献