郵政研究所ディスカッション・ペーパー・シリーズ No.1998-07
周波数の価値についてU
実 積 寿 也*
石 田 隆 章**
1998.6.26
周波数の価値について
郵政研究所通信経済研究部主任研究官 実積
寿也郵政研究所通信経済研究部郵政技官 石田
隆章
[要約]
わが国の情報通信マーケットは 1995年の時点で28.6兆円の市場規模を有するなど、情報通信分野の日本経済に与える影響は日々増大しており、とりわけ、携帯・自動車電話(以下、「携帯電話」)や簡易型携帯電話(以下、「PHS」)などに代表される移動体通信市場の成長は著しい。周波数を利用する移動体通信ビジネスの急速な発展は世界的な潮流でもあり、経済活動のグローバル化が進む中で、周波数資源の管理について、各国の周波数管理当局に対してはより一層の透明性が求められ、また、有限希少な共有財産として効率的な利用を確保するような施策の推進が望まれている。周波数利用技術の発展という観点からみてみると、アナログからデジタルへの転換期を迎えた現在、各アプリケーションに対して先進的技術の導入が進められており、周波数資源に対する需要は今後ますます増大していくことが予想されている。 そのため、諸外国の周波数管理当局においても、従来の周波数配分の枠組みに代わる新たな周波数配分政策の展開の検討を始めるといった動きを見せており、すでに米国やオーストラリアなどにおいては競争入札による周波数割り当てが実施されている。また、他の諸国では周波数配分手法の議論のための基礎的な資料として周波数の利用を経済的な視点から定量的に評価する試みが行われており、新たなアプローチとして関係者の注目を集めている。 本稿では、英国などの諸外国で採用された手法を参考に、 i) 移動体通信及び放送の用に供されている周波数帯の使用が国内総生産に与えるインパクト(経済的価値)、及び、ii) 個々の周波数利用者(無線局の免許を付与されている者)が当該周波数の占有・利用権に対して支払い得る最高価格(利用者価値)の二つを推計することにより、周波数の価値の定量的算出及びその評価を試み、一定の仮定の下で次に示すような推定結果を得た。1 携帯電話用周波数とPHS用周波数はそれぞれ 2 日本の携帯電話用周波数の GDPに対する影響は英国の4.4倍で、周波数使用量・人口を考慮すれば2.0倍である。3 日本の放送用周波数のGDPに対する影響は英国の 1.7倍で、周波数使用量・人口を考慮すれば2.9倍である。4 日本の携帯電話用周波数の限界的利用者価値は単位周波数利用度 (MHz・人)あたり年間8.7〜14.6円である。経済的な周波数価値の評価は、いくつかの問題点を抱えてはいるが、他方で、経済的価値・利用者価値に基づく周波数の利用許諾プロセスは他の判断基準では得られない公平性・透明性をもたらし、様々な制約の下でではあるが一定の経済的な効率性を産み出すことは確実であり、周波数管理当局において、今後のさらなる検討・分析が求められる分野であることは疑いがない。
|
わが国の情報通信マーケットは
1995年の時点で28.6兆円の市場規模に達し、情報通信分野の日本経済に与える影響は日々増大している。とりわけ、携帯・自動車電話(以下、「携帯電話」)や簡易型携帯電話(以下、「PHS」)に代表される移動体通信市場の成長は著しく、1996年の時点での第一種電気通信事業者の移動体通信分野への設備投資額は1.6兆円に達し、自動車産業を上回るまでになっている。周波数を利用する移動体通信ビジネスの急速な発展はわが国のみならず世界的な潮流でもあり、経済活動のグローバル化が進む中で、周波数資源の管理に関して、各国の周波数管理当局に対してはより一層の透明性が求められると同時に、有限希少な共有財産として効率的な利用を確保するような施策の推進が望まれている。周波数利用技術の発展という観点からみてみると、アナログからデジタルへの転換期を迎えた現在、各アプリケーションに対して先進的情報通信技術の積極的な導入が進められており、世界共通の次世代携帯電話システム、周回衛星を用いた世界中で利用可能な携帯電話システム、さらに、光ファイバー網にシームレスに接続できるマルチメディア移動アクセスなど、市場に大きなインパクトを与えることが予想される次世代のシステムが着々と実現される見込みとなっており、周波数資源に対する需要は今後ますます増大していくことが予測されている。
このような動きに適切に対応し、電波法第
1条にうたわれている「電波の公平且つ能率的な利用を確保することによって、公共の福祉の増進」を図っていくためには、現在まで運用されてきた周波数割当方式の公平性・効率性を高める努力をすることが必要である。規制緩和推進計画においても「電波の公平かつ能率的な利用の観点から、オークション方式の導入の可能性を含め、周波数割当方式の在り方を検討するとともに、周波数割当手続きの透明性の一層の向上を図る」べきことが謳われている。諸外国の周波数管理当局においても、従来の周波数配分の枠組みに代わる新たな周波数配分政策の展開の検討を始めており、米国やオーストラリアなどにおいては競争入札方式による周波数割り当てがすでに実施されている。また、他の諸国では周波数配分手法の議論のための基礎的な資料として周波数の利用を経済的な視点から定量的に評価する試みが行われており、新たなアプローチとして関係者の注目を集めている。
本稿では、
Smith System Engineering Ltd.社が実施した周波数の価値評価の手法を参考としながら、i) 移動体通信及び放送の用に供せられている周波数帯の使用が国内総生産に与えるインパクト、及び、ii) 個々の周波数利用者(無線局の免許を付与されている者)が当該周波数の占有・利用権に対して支払い得る最高価格の二つを推計することにより、周波数価値の定量的評価を試みる。本稿の構成は以下のとおりである。次節においてわが国の周波数利用の状況を概観する。次に、第3節において、経済的考察を周波数管理に反映していく方策について論じ、第4節及び第5節においてわが国における周波数の価値を算出する。締めくくりの第6節においては今後の課題を示す。
電波は「
図表1 周波数帯別に見る電波の特性
← 直線性が弱い |
電波の伝搬 |
直線性が強い → |
||||||||||||||||||
← 小さい |
伝送できる情報量 |
大きい → |
||||||||||||||||||
← 易しい |
利用技術の難易度 |
難しい → |
||||||||||||||||||
3KHz |
30KHz |
300KHz |
3MHz |
30MHz |
300MHz |
3GHz |
30GHz |
300GHz 3000GHz |
||||||||||||
超長波 VLF |
長波 LF |
中波 MF |
短波 HF |
超短波 VHF |
極超短波 UHF |
SHF |
EHF |
|||||||||||||
利用が十分進んでいる |
利用が進んでいない |
電気通信技術審議会
(1994)によると、移動体通信の分野は今後も急速な成長を続けると予想され(図表2)、2010年における携帯電話、ページャー、PHS、MCA陸上移動通信システム、無線LANなどの移動体通信端末数は延べ約1億400万〜約1億3000万に達し、この場合、新たに約500MHzの周波数帯域が必要になると試算されている。
図表2 無線局数の推移
増加する周波数需要に対応するため、未利用周波数帯の開発、周波数の有効利用技術の積極的な導入により、利用可能な周波数帯を広げると同時に、周波数の利用効率を向上させる努力が続けられている。さらに、技術進歩や利用ニーズの変化に対応して、利用周波数の再編成といった資源利用の整理も進められている。
周波数の配分は以下に述べる三つの手続きを通じて実行される。
Step 1
:周波数の分配「周波数の分配」とは、周波数又は周波数帯の利用の枠組みを定める作業である。国際的な周波数利用の枠組みは、国際電気通信連合において審議され、周波数帯毎の利用目的が無線通信規則として決定される。国内的な周波数の使用方法については、無線通信規則の枠組みの中で、周波数利用の需要動向、技術動向を踏まえて定められ、わが国の周波数分配表は「周波数の割当原則」として公開されている。さらに、主要な通信システムの具体的な使用周波数帯は、電気通信技術審議会及び電波監理審議会の審議を経て、郵政省令により定められている。
Step 2
:周波数の割り当て「周波数の割り当て」とは分配された各周波数帯についてどの使用者に周波数の利用機会を与えるかを周波数管理当局が決定する作業であり、諸外国においては、従来の枠組みに代わるオークション方式などの新たな周波数割当手法が試みられている。わが国では、利用希望者からの申請に基づき、電波法令及び電波法関係審査基準により審査が行われ、個々の無線局に対する周波数を割り当てるという手続きがとられている。
Step 3
:周波数の整理既存の周波数使用者を排除し、当該周波数帯域を新たな使用者・用途に開放する作業であり、非効率な分配や割り当てを見直し、移動衛星業務などの新サービスへの分配、割り当ての検討を行う。電波法第
71条の規定によると、「郵政大臣は、電波の規整その他公益上必要があると認めるときは、当該無線局の目的の遂行に支障を及ぼさない範囲内に限り」無線局の周波数などの変更を命ずることができることとなっている。
周波数管理当局が、周波数需要の増大、新しい用途の登場、周波数の価値に対する認識の変化などの課題に対応し、周波数の配分手続きに対し検討を加える場合、図表3に示すような様々な経済的ツールの適用を考慮することが可能である。本稿では、これらのうち、粗付加価値ベースの価値評価及び利用者(無線局の免許を付与されている者)にとっての周波数の価値の算定に関して検討を加えることとする。
図表3 経済的手法の概要とその適用可能局面
周波数配分の局面 |
||||
利用可能な経済的ツール |
概要 |
分配 |
割り当て |
整理 |
粗付加価値ベースの価値評価 (経済的価値) |
当該周波数帯の使用を許諾することによって国内総生産にどれだけのプラスの影響があるかを推定する。 |
可 |
不可 |
可 |
行政的な周波数利用価格の設定 (利用者価値) |
利用者が当該周波数の利用を許諾されることに対して合理的に支払い得る料金を行政的に設定する。 |
不明 |
可 |
可 |
周波数免許を取引きする市場の創造 |
販売または賃貸などにより、周波数利用権を取引きする場を設け、市場原理に解決を委ねる。 |
不明 |
可 |
不明 |
競争(入札手続き) |
周波数の利用を求める事業者が参加する入札手続きを行うことで、周波数資源の効率的分配を図る。 |
不可 |
可 |
不明 |
周波数の粗付加価値ベースの価値(経済的価値)は、当該周波数を利用すること産業の産み出される付加価値であると定義する。具体的には、周波数の利用を基盤として成立している産業が生み出す
周波数の経済的価値は、直接的な付加価値部分と、その付加価値が国民に分配されそれが消費を喚起して副次的に創出する間接的付加価値部分の2つから構成される。直接的付加価値は、携帯電話事業者、
PHS事業者、及び放送事業者が直接産み出す付加価値に加えて、その事業を運営するために直接的に必要な生産財の生産から産み出される付加価値、及び消費者がそれぞれのサービスを享受するために必要な機器の生産活動などから生じる付加価値の合計で捉えることができる。なお、放送用周波数に関する推定については、以上の各要素に加えてサービスの最終消費者であるスポンサーと放送事業者の間をとりもつ広告代理店が産み出す付加価値を考慮する必要がある。支出面で捉えた場合の最終サービス事業者の付加価値(
GDP貢献分)は、図表4に示すように、
最終サービス事業者の付加価値[
(a)]=最終サービス産出額−中間消費=産出額−(国内投入分+輸入)
で表される。「国内投入分」は設備・機器生産者の産出額に等しく、その付加価値は同様に、
設備・機器生産者などの付加価値[
(b1)]=産出額−(国内投入分+輸入)
と分解される。こうした中間投入の連鎖は何段階にもわたり、日本の産業全体の様々な産業に対して需要を創出し、それぞれの産業において付加価値が生まれる。本稿では、
需要の連鎖をサプライヤーまで考慮し、サプライヤーに対する中間投入以前の連鎖で発生する直接的付加価値については、産業平均の比率を用いて推計を行った。
図表4 経済的価値の産出方法
4.2
節の手法に従って、携帯電話に利用されている周波数帯の経済的価値の推定を行った結果を図表5に示す。
図表5 携帯電話用周波数の経済的価値(
1996年度ベース:単位百万円)
直接的付加価値 |
3,552,985 |
間接的付加価値(乗数効果分) |
4,014,873 |
付加価値合計 |
7,567,857 |
GDP 寄与率 |
1.54% |
雇用創出量(乗数効果分を含む) |
82 万人 |
携帯電話の用に供される周波数帯は、端末製造・販売等を含めた携帯電話産業全体で約
3兆5千億円の直接的付加価値を産み出し、乗数部分でさらに約4兆円、計約7兆6千億円の付加価値を産み出していることがわかる。これは、1996年度のGDPの1.54%に相当し、1996年度の1人あたりのGDPから単純に計算すると、およそ82万人(直接的付加価値分のみでは39万人)の雇用の確保に貢献していることになる。この付加価値が携帯電話産業全体の中で、それぞれどの段階で生じているかを示したのが次の図表6である。
図表6 携帯電話事業に関わる産業の付加価値産出構造
PHS
に利用されている周波数帯の経済的価値の推定を行った結果を図表7に示す。
図表7
PHS用周波数の経済的価値(1996年度ベース:単位百万円)
直接的付加価値 |
458,364 |
間接的付加価値(乗数効果分) |
517,951 |
付加価値合計 |
976,314 |
GDP 寄与率 |
0.20% |
雇用創出量(乗数効果分を含む) |
11 万人 |
PHS
の用に供される周波数帯は、PHS産業全体で約4,584億円、乗数部分で約5,180億円、合わせて約9,763億円の付加価値を産み出していることがわかる。これは、1998年度のGDPの0.20%を占める規模であり、携帯電話産業のおよそ8分の1である。付加価値総額は、約11万人(直接的付加価値分のみでは5万人)の雇用に相当する。1996年度末におけるPHSの加入者が、携帯電話のほぼ4分の1であることを考慮すれば、事業活動がGDPの増大に貢献する効率性といった点で、PHS産業は携帯電話産業に劣っているという評価も可能である。さらに、この付加価値が
PHS産業全体のどの段階で生じるかを図表8に示す。
図表8
PHS事業に関わる産業の付加価値産出構造
PHS
に係る産業構造を携帯電話と比較すると、i) 端末製造、設備投資分野で創出される付加価値の比率が高い、及び ii) 加入者電話事業で創出される付加価値の比率が高い、といった点を挙げることができる。その結果、PHS事業本体での営業余剰は単年度で見ればマイナスになり、付加価値としてはマイナスの数値を示している。このことは、i) 売上高に比較して過大な設備投資を当年度に実施していること、ii) 加入者獲得のための端末販売インセンティブの増大による営業経費の急増、iii) 加入者電話網に依存しなければならないサービス形態の特質から来る膨大な回線使用料などの負担が携帯電話事業に比べて大きいという3つの要因によるものと考えられる。
周波数の用途毎の経済的価値を比較することで、当該周波数帯にとっての効率的な用途を決定する判断材料が得られる。周波数帯域
1MHz単位で評価した経済的価値をPHSと携帯電話のふたつの用途で比較する(図表9)。PHSという用途の産み出す経済的価値の優位は明らかであり、単位周波数あたりでは携帯電話の2倍を超える価値を産み出している。経済的価値の大小のみから判断すれば、1996年度時点において携帯電話用として分配されていた周波数帯は、携帯電話用ではなくPHS用として分配されるべきであったということになる。
図表9
PHS用周波数と携帯電話用周波数の経済的価値の比較
項目 |
PHS |
携帯電話 |
PHS |
: |
携帯電話 |
付加価値合計(百万円) |
976,314 |
7,567,857 |
1 |
: |
7.8 |
周波数使用量 (MHz) |
8 |
144 |
1 |
: |
18.0 |
経済的価値 /MHz(百万円) |
122,039 |
52,555 |
2.3 |
: |
1 |
経済的価値 /MHz・人(円) |
1,211 |
431 |
2.8 |
: |
1 |
次に本稿の推定結果を英国で算定された携帯電話用周波数の経済的価値と比較したものが図表
10である。
図表
10 携帯電話用周波数の経済的価値の日英比較
日本 (1996年度) |
UK(Yr 1995) |
||||||
項目 |
金額 |
構成比 |
金額 |
構成比 |
日本 |
: |
UK |
人口(千人) |
125,450 |
58,490 |
2.1 |
: |
1 |
||
加入者数(千人) |
20,876 |
5,400 |
3.9 |
: |
1 |
||
普及率 |
16.6% |
9.2% |
1.8 |
: |
1 |
||
直接的付加価値(百万円) |
3,552,985 |
396,769 |
9.0 |
: |
1 |
||
携帯事業者 |
670,018 |
19% |
190,769 |
48% |
3.5 |
: |
1 |
端末製造 |
777,266 |
22% |
24,000 |
6% |
32.4 |
: |
1 |
設備投資 |
1,079,557 |
30% |
77,000 |
19% |
14.0 |
: |
1 |
販売部門 |
246,220 |
7% |
18,000 |
5% |
13.7 |
: |
1 |
その他 |
779,923 |
22% |
87,000 |
22% |
9.0 |
: |
1 |
間接的付加価値(百万円) |
4,014,873 |
100,000 |
40.1 |
: |
1 |
||
付加価値合計(百万円) |
7,567,857 |
496,769 |
15.2 |
: |
1 |
||
GDP( 百万円) |
490,991,053 |
140,832,000 |
3.5 |
: |
1 |
||
GDP 寄与率 |
1.54% |
0.35% |
4.4 |
: |
1 |
||
周波数使用量 (MHz) |
144 |
40 |
3.6 |
: |
1 |
||
経済的価値 /MHz(百万円) |
52,555 |
12,419 |
4.2 |
: |
1 |
||
経済的価値 /MHz・人(円) |
419 |
212 |
2.0 |
: |
1 |
日本の携帯電話に用いられている周波数帯が創出している直接的付加価値は、英国の
9.0倍と極めて高く、3兆5,530億円を産み出している。これは、英国の場合の4.3倍である約39万人(乗数効果分を含めた場合は82万人)の雇用に相当するもので、わが国の携帯電話用周波数は雇用に大きな貢献をしていることが窺える。乗数効果を含めた経済全体への貢献度の大きさで見ると、日本の携帯電話用周波数が創出する付加価値は英国のおよそ15倍である。GDP比で見た場合は、英国の0.35%に対し、日本は1.54%であり、4.4倍の貢献を示しており、わが国の携帯電話用周波数の経済的価値の高さを示している。しかしながら、わが国の携帯電話には英国のほぼ
3.6倍の周波数が分配されているため、単位周波数あたりで考慮した経済的価値の絶対的格差は4.2倍に縮まり、さらに人口一人あたりで比較するとその差は2.0倍にとどまる。携帯電話産業の各セクターの付加価値を比較することで、わが国の携帯電話事業の特徴を推察することができる。最も特徴的なことは、携帯電話事業者単体の付加価値の比率が英国に比べて極めて小さいことである。これは、
i) 急激な加入者増に応えるための先行的な設備投資、及び ii) 加入者囲い込みのための過大な販売インセンティブによる営業経費の増大により、営業余剰が圧迫されていることに起因するものであり、1996年当時における日本の携帯電話ビジネスの特異な現象を反映している。その一方、直接的付加価値の構成比率の違いから明らかなように、設備投資産業や端末製造産業に付加価値の大きな部分が分配され、端末製造の部門で英国の
32倍、設備投資部門で14倍となっている。端末製造部門が特に高いのは、日本で供給されている端末機器の輸入依存度が英国と比較してかなり小さいことに起因している。間接的付加価値にみられる約
40倍の格差は、日英の乗数の大きさの差に依存する部分が大きい。これは、日本経済に対する追加的投入が経済全体の産み出す付加価値に与える影響が英国に比べて日本では極めて高いことを意味している。このことは、分配された付加価値(GDP)によって産み出される需要の内需比率が英国に比べて高いことが主な理由であろう。
放送に利用されている周波数帯の経済的価値の推定を行った結果を以下に示す(図表
図表
11 放送用周波数の経済的価値(1995年度ベース;単位:百万円)
直接的付加価値 |
3,969,365 |
間接的付加価値(乗数効果分) |
4,485,383 |
付加価値合計 |
8,454,749 |
GDP 寄与率 |
1.72 % |
雇用創出量(乗数効果分を含む) |
92 万人 |
推定結果によれば、地上波の放送産業全体が直接的に生み出す付加価値は約
3兆9,694億円であり、携帯電話産業と同程度の規模である。乗数効果を含めた付加価値合計が8兆4,547億円であり、GDPに対して1.72%の寄与、雇用に対しては92万人分(直接的付加価値分のみでは43万人)の貢献をしていることがわかる。この付加価値が放送産業のどの段階で生じているかを示したものが図表12である。
図表
12 放送事業に関わる産業の付加価値産出構造
ここで推定された経済的価値を先に算出した移動体通信用周波数の経済的価値と比較することにより、当該周波数帯を通信(携帯電話あるいは
PHS)と放送(地上波放送あるいはBS放送)のいずれの用途に分配するのが付加価値の観点から見て効率的であるか判断することができる。周波数使用量を考慮した経済的価値で比較すると携帯電話の方が明らかに高い価値を産み出しており、GDPの観点のみからすれば、放送用に割り当てられている周波数帯を携帯電話用に再分配することが望ましい。しかしながら、先に携帯電話用周波数とPHS用周波数の経済的価値を比較した際と同様に、両メディアの質的相違を考慮しなければならないことに注意すべきである。さらに、本稿で得られた推定結果を英国において算定された放送用周波数帯の経済的価値と比較する
(図表13)。日本の数値は、ラジオ放送を除く地上波の民間放送事業及びNHKの受信料収入から試算した結果であり、英国の数値は、地上波の民間放送事業及びBBCの受信許可料から推定したものである。
図表
13 放送用周波数の経済的価値の日英比較
日本 (1995年度) |
UK(Yr 1995) |
||||||
項目 |
金額 |
構成比 |
金額 |
構成比 |
日本 |
: |
UK |
人口(千人) |
125,450 |
58,490 |
2.1 |
: |
1 |
||
直接的付加価値 (百万円) |
3,969,365 |
1,021,255 |
3.9 |
: |
1 |
||
放送事業 |
2,103,562 |
53% |
688,705 |
70% |
3.1 |
: |
1 |
TV 端末製造及び販売事業 |
1,546,185 |
39% |
197,543 |
17% |
7.8 |
: |
1 |
広告業 |
319,619 |
8% |
135,007 |
13% |
2.4 |
: |
1 |
間接的付加価値 |
4,485,383 |
410,176 |
10.9 |
: |
1 |
||
付加価値合計 |
8,454,749 |
1,431,431 |
5.9 |
: |
1 |
||
GDP( 百万円) |
490,991,053 |
140,832,000 |
3.5 |
: |
1 |
||
GDP 寄与率(乗数効果を除く) |
0.81% |
0.73% |
1.1 |
: |
1 |
||
GDP 寄与率 |
1.72% |
1.02% |
1.7 |
: |
1 |
||
周波数使用量( MHz) |
370 |
392 |
0.9 |
: |
1 |
||
経済的価値 /MHz(百万円) |
22,851 |
3,652 |
6.3 |
: |
1 |
||
経済的価値 /MHz・人(円) |
182 |
62 |
2.9 |
: |
1 |
日本と英国の放送産業の産み出す直接的付加価値の比率は、人口比
2.1に対して3.9となっており、1人あたり換算で1.8倍の付加価値を日本の放送産業は創出していることになる。特に、TV端末製造・販売業の産み出す付加価値は、英国の8倍近くに達し、日本の電子機器産業に対する放送産業の貢献度は極めて高いことがうかがえる。また、間接的付加価値を加えた合計値で比較すると日本の放送産業は英国の
6倍弱の付加価値を産み出している。分配されている周波数の量は両国でほぼ等しいため、単位周波数あたりで考慮した経済的価値の絶対的格差は6.3倍であるが、人口一人あたりで比較するとその差は2.9倍にとどまる。GDP
への影響という観点からは、乗数効果を除いた直接的寄与率が、日本は0.81%、英国は0.73%であり、経済全体の規模から比べると英国と日本の放送産業の貢献度はほぼ同程度である。この点は、成熟産業である放送産業と、急速に成長している携帯電話産業との間で大きく異なる点である。さらに、乗数効果を含めた日本の放送産業が生み出す付加価値のGDPに対する貢献度は1.72%であり、英国のおよそ1.7倍の貢献度を示している。
周波数の利用者にとっての価値(利用者価値)とは無線局の免許を付与されている者が当該周波数の利用で受けている経済的利益であると定義する。具体的には、新たな周波数の追加割り当てを受ける場合と同等の収容能力を得るための代替手段が何であるかを想定し、それに要する費用と新たな周波数の追加割り当てによる周波数利用度の価値が等価であると考えて、利用者価値を算出する。
周波数を利用したサービスへの需要の急増に対し、サービスの提供者側は収容能力の増加を迫られている。収容能力を増やすには、主に2つの方策がある。1つは使用する周波数を増やすという方策であり、もう1つは追加の設備投資などにより現在使用している周波数をより効率的に利用する方策である。本稿では、収容能力増のための方策を検討し、当該方策の実施に必要なコストを追加的に与えられる周波数利用度の利用者価値と等価であると見做す。具体的な算出フローは図表
図表
14 携帯電話用周波数の利用者価値の算出フローチャート
周波数利用度についての考え方は以下のとおりである。例えば、ある携帯電話事業者にn
MHzの周波数免許が与えられた場合、当該事業者は自らが事業をおこなうエリアに設置した全ての無線局において最大nMHzの周波数を利用(占有)することが許されることから、当該事業者にとっての当該周波数利用度は(潜在的な部分も含めて)「免許されている周波数量×エリアの広さ(あるいはカバーされる人口)」(単位:MHz・エリア、または、MHz・カバー人口)で表現することが適当である(図表15)。
図表
15 携帯電話事業者の周波数利用度
さて、何らかの理由で需要増に直面した事業者が追加的に必要とする周波数利用度は図表
16の網掛け部分として表現することができる。さて、設備産業の典型で、需要が急増しつつある移動体通信事業者の場合、設備は実際の需要に比較して過大な水準であることが想定される。移動体通信事業者の設備投資が、ある時点において現実に存在する需要を丁度満たすレベルに設定されているのではなく、図表15で示すところの「免許されている周波数利用度総量」に対応して設定されていると仮定すると、5.2節で算出した需要増に対応した限界的コスト(=周波数の限界的利用者価値)はこの網掛け部分に対応すると見做すことができ、当該コストをこの網掛けの三角形の部分の面積で除することによって、単位周波数利用度あたりの利用者価値(単位:円/MHz・エリア又は円/MHz・カバー人口)を導くことができる。
図表
16 増大した需要に対応するために必要とされる周波数利用度
ところで、携帯電話用の周波数の有効利用技術としては様々な方策が検討されているが、本稿の推計では、電気通信技術審議会における検討結果を参考に、現時点において携帯電話事業者が採用しうるのは、小ゾーン化策であると考えて推計作業を行う。
ここまでの議論に基づいて、各地域における携帯電話用周波数の利用者価値を算出した結果を示す
(図表17)。
図表
17 単位周波数利用度あたりの限界的利用者価値の算出
関東 |
関西 |
東海 |
東北 |
|
周波数の割り当て増なしに需要増に対応する限界的コスト |
116.0 億円 |
168.5 億円 |
134.3 億円 |
2.7 億円 |
限界的に新たに必要となる周波数利用度( MHz・万人) |
13,321 |
12,159 |
11,889 |
323 |
周波数利用度の限界価値 (円 /MHz・人) |
87.11 |
138.64 |
112.97 |
82.60 |
周波数利用度の限界価値(単年) (円 /MHz・人) |
9.2 |
14.64 |
11.93 |
8.72 |
本稿では、英国で採用された手法を参考に、周波数管理の材料となる周波数の経済的価値及び利用者価値の算定を試みた。ここで得られた数値は幾つかの仮定に基づくものであり、現実の政策決定に応用するためには詳細部分のさらなる検討が必要であることは否めない。例えば、携帯電話用周波数の経済的価値の算出にあたっては、携帯電話サービスを利用する者が全て最終消費者であることを前提としているが、これは、事業用に携帯電話サービスを購入している法人ユーザの産み出す付加価値の分を捨象していることに等しく、当該付加価値相当分だけ推計結果が過少となっている。また、放送用周波数の経済的価値についても広告主であるスポンサー企業が当該広告を利用したことによって産み出す付加価値分も無視されている。利用者価値の算出については、電気通信技術審議会の想定した設備レベルを保有する事業者の存在を試算の前提としているが、現実のネットワーク構成にあたっては、営業地域の需要分布や地勢に応じた最適な設備レベルを追求することが必要であるから、本稿で得られた結果が現実的な水準を示しているのか否かは今後さらなる議論を要するところであろう。
以上のような推定上の問題点を解決したとしても、本稿で得られたような経済的価値あるいは利用者価値を政策立案の基礎資料として実際に活用していくにあたっては、推定結果の解釈にあたり定量的には評価ができない定性的な論点を加味しなくてはならない。
例えば、周波数の配分を一旦行った場合、一朝一夕にそれを変更することは実際問題として不可能である。推定された経済的価値に従って、現時点で最も
GDPに対する影響の大きな用途に対して周波数の分配を行い、現時点において最も大きな利用者価値を有するユーザに割り当てを行うことは、当該用途・ユーザに対してある程度長期にわたって当該周波数帯を固定することを意味し、技術進歩が激しく需要の変動も大きいような分野においては必ずしも長期的な効率性をもたらさない。周波数の割当計画を作成する際には、将来の技術進歩や需要の変遷などに対する見通しなどの観点を加味することが重要であるが、本稿の推定プロセスにそういった視点を加えることは困難である。また、周波数の整理は産業構造の変更を意味し、実際に行えば大きな社会的摩擦(失業問題など)が生じかねず、移行措置の適否によっては、計画された経済的効果が十分には発揮されない可能性があるが、この点も、本稿の推定方法には加味されていない。
さらに、警察・防災・電力といった公共性の高い業務、あるいはユニバーサルサービス的な事業に対する周波数の分配・割り当ては定量的な評価に馴染むものではないと考えられるし、放送用周波数などの場合は言論の自由の保証や文化の多様性の確保といった観点から経済的価値や利用者価値がもたらす結果に反する分配・割り当てが要請される場合もありうる。
言うまでもなく、サービスを利用することによってユーザに与えられる効用、あるいは、周波数の整理によってもたらされる不効用にも配慮をすることが望ましいし、国際的な周波数分配との調整も必要であるが、いずれの論点も本稿で算出した価値には反映されていない。また、議論されている周波数の技術的特性を考慮しなくてはならないのは言うまでもない。
このように、経済的な周波数価値の評価はいくつかの問題点を抱えてはいるが、他方で、経済的価値・利用者価値に基づく周波数の利用許諾プロセスは、他の判断基準では得られない公平性・透明性をもたらし、様々な制約の下でではあるが一定の経済的な効率性を産み出すことは確かであり、周波数管理当局において、今後のさらなる検討・分析が求められる分野であることは確かである。
【参考文献】
電気通信技術審議会
[1996] 『携帯電話等周波数有効利用方策委員会報告』
経済企画庁経済研究所編
[1995] 「第5次版EPA世界経済モデル −基本構造と乗数分析−」 『経済分析』 第139号 平成7年5月 大蔵省印刷局National Economic Research Associates and Smith System Engineering Ltd. (1997) Economic Impact of Radio in the UK, http://www.open.gov.uk/radiocom/sp_indx.html
総務庁統計局編
[1997] 『労働力調査年報 平成8年』 総務庁統計局郵政省電波資源の有効活用方策に関する懇談会編
[1997] 『周波数オークション』 日刊工業新聞社郵政省郵政大臣官房企画課企画調査室
[1998] 『平成8年度情報流通センサス報告書』郵政省郵政大臣官房財務部企画課統計企画室
[1998] 『平成6(1994)年郵政産業連関表』ITU-R [1994] RECOMMENDATION ITU-R SM-1046