郵政研究所月報

2002.12

巻頭言
yoshida

異状死体

東京大学大学院医学系研究科法医学講座教授  吉田 謙一

 法医学の守備範囲は、殺人・事故死体に留まらず、異状死体全般であり、その数は、年間、10数万人にのぼる。東京23区と大阪市内では、監察医が、実際に死体を見て死因などを判断し、解剖が必要な場合は、行政解剖を行う。その他の地域では、警察医・一般臨床医が対応する。また、警察が犯罪性の観点から必要と判断した事例が司法解剖される。実際には、解剖前に病死と思っていたが、解剖すると、外因死と判明する事例も少なくなく、稀には保険金殺人もある。
 異状死とは、臨床医がある疾患であると確定診断し、看取った死以外の死である。実際に多いのは、いわゆる、突然死であり、その約7割が虚血性心疾患であり、約2割が脳クモ膜下出血・脳出血である。
 喧嘩・事故の最中・直後の突然死がある。例えば、相手の暴行が20分にも及ぶ執拗なもので、被害者が抵抗していない場合には、死因が病死であり、暴行と死との因果関係はなくても、加害者の行為に責任を負わせる判決につき、鑑定医としては、納得できる。しかし、会社の同僚同志の喧嘩で、一方が殴った後、「今度はおまえの番だ」と、眼鏡をはずし、1発殴られたところ、一瞬意識を失ったので、横たえ、病院に運ぶと、脳クモ膜下出血で死亡したという事例がある。脳クモ膜下出血には、病的出血と外傷性出血がある。病的出血は脳動脈瘤等の破綻により起こるが、何らかのストレスにより血圧が上昇すると起こりやすく、打撲の衝撃で動脈瘤が破綻することもある。一方、外傷性出血は、脳挫傷という脳表面の損傷により起こることが多い。本件では、解剖後、病的出血の可能性が高いが、動脈瘤等を見出せず、外傷性出血の根拠となる所見も認められない、したがって、暴行と死との因果関係は不詳であると鑑定したが、簡単に起訴されたことに驚いた。
 一般に、暴行・事故・医療行為の直後の死亡につき、法律家は、因果関係を認めやすい。東大ルンバール事件では、医師が泣く男児を押さえつけて腰椎穿刺をした20分後に痙攣などを起こし、重度後遺症を負った事例につき、4つの医学鑑定が全て腰椎穿刺と後遺症との因果関係を否定したが、最高裁判決は、このような場合、科学的証明は必要でなく、一般人が疑いを差し挟まない程度の高度の蓋然性を示せば足りるとして、医師側有責とした。この判決は、被害者救済という観点は理解できるが、医学的な因果関係が証明されないのに、裁判官の判断で医療側に責任を負わせることができると断定するところに、疑問を感じる。
 医療事故が疑われる死亡は、異状死として警察に届け出られることになっている。最近、臨床の諸学会は、治療に合併症などによる死亡はつきものであるので、これを届け出すべきものに含めることは不当であると主張している。しかし、例えば、注射の直後に死亡した場合、主治医が、「アナフィラキシーショック(体質異常)に基づく死であるので、医師には責任はない。」と説明しても、遺族は納得しないし、実際、誤薬・過量投与による事故も少なくない。注射直後の脳出血もある。したがって、このような場合、届け出て、解剖し、死因を第3者から遺族に説明して、納得してもらう必要がある。手術・出産など医療行為の前に十分説明され、その範囲内の合併症が起こり、その結果としての患者の死亡に遺族が納得すれば、問題はないと思われる。しかし、予期しない、死因が不詳、または、遺族が納得していない容態急変事例については、専門家としての説明責任を果たす上でも、異状死の届け出をすべきである。しかし、現状では、医師が医療事故を届け出ることは稀であり、また、届け出たとしても、警察に適切な対応は期待できないので、新たに第3者機関を作るべきである。
 このように、様々な異状死の事例に対応し、悩みながら、また、研究しながら、法医学者として毎日を過ごしている。