巻 頭 言

情報時代の学力

中央大学教授  齊藤 忠夫 

 現在の情報技術の進展は急速である。情報技術を使いこなす知識や技能もたちまちにして変化する。情報時代に生活する人達にとって知識は学校で教わるものではなく、日々自らが修得してゆかなければならないものになっている。現代の若者にはその点においてすばらしい能力を持っているものが多い。永年大学の教師をしていると、教師が少し教えただけで、たちまち教師を越える学生は当然のことであるが当たり前である。キーボードを扱うような基本能力はもとより、プログラミングのスピードも若い者は優れている。新しいプログラム・パラダイムを身に付ける能力も若年層には有利である。
 学問の分野の中には50年までの知識が今でも最も役に立つ知識だという分野も少なくない。エネルギー問題の基本は100年以上も前に確立した熱力学の知識を基礎にしなければ、皮相的な議論になり勝ちであり、そうした伝統学問の重要さは現在も変わりない。そうした学問分野の先生方は、自分が昔身に付けた知識を基本にいつでも自信を持って若い人達に説教できる。ところが、情報の分野では50年前の学問は昔話に過ぎないことも少なくない。そういう時には伝統的学問分野の老先生達がうらやましくなることもある。こういう分野の大家達が、自分達が昔学んだ学問が、永続的に学び続けられるべき学問だと思ってしまうこともありがちである。
 最近、若い人達の学力の低下が問題になることがある。これには複雑な要因があることは間違いのないところであるが、情報社会に向けて必要となる能力、知識と、伝統的に必要と考えられた学力とのギャップもあるのではないかと思えてならない。昔教育を受けた世代でも漢字を書く能力は急速に低下している。これは文章を書くときにワープロを使う環境では当然のことであろう。その代わりとして、より役に立つ能力は漢字を読む能力、できれば、第2水準のカナ変換では簡単に出て来ない文字を探す能力が求められることになる。分数が扱えない子供が増えているという話もある。分数は考え方としては重要かも知れないが、数の表現としては計算機では簡単には扱えない。
 10進法の世界では10の約数である5と2以外の因数を含む数で1を除せば、循環小数になってしまうことを考えれば、分数は便利ではあるが、2進法の世界では状況は異なる。重要なのは丸めと有効数字の考え方であろう。
 若い人達には、これからの生活に役に立つ能力に対しては積極的に学習意欲はわくかもしれないが、昔は大切であっても今はあまり役に立たないことであれば、意欲的に取り組まなくなるのはむしろ健全なことである。
 こうした変化に現在の教育体系がどれだけ前向きに取り組んでいるかについては、分野によるバラツキが感じられる。文系の分野は社会の変化に対応する考えが伝統的にあるが、自然科学系の分野では真理は真理という保守的な傾向が強いような気もするときがある。  情報社会の到来といわれて久しい。農業社会では富の源泉が農産物であり、工業社会では富は主として工業製品によって生み出された。その変革期には先進国をめざしてその社会の全ての様相が変化した。産業の形態が変化するのは当然として、家族構成も、人口の地理的分布も、政治形態も変化した。教育内容はその社会に求められる人材の育成をめざして変化した。
 工業による経済成長が資源の点でも環境の点でも限界に達した今日、経済成長を支える可能性のある唯一の技術が情報技術であるという認識が、情報社会という用語への期待である。情報技術に対する期待と失望の交錯は繰り返しているが、その中でGDPに占める情報産業の割合が着実に増大しているのが、工業社会から情報社会への変革期としての現代の位置付けである。
 情報社会に求められる人材像もそれが安定した理解に達するには時間がかかろう。伝統的学力の考え方から見て現在の若者の学力が低下しているという議論を出発点として、これからはどのような学力が求められ、それを組織的に養成してゆくためには何をすれば良いのかを考え、幼稚園から大学に至るまでの教育の内容を見直す努力が今求められているのではあるまいか。