巻 頭 言

「ことばは力、文字は魔術」

株式会社 資生堂会長  福原 義春 

   生まれつきではないかもしれないが、有名な悪筆である。会社の中では三悪筆と言われていると聞くのだが、あとの二人は人によって説があり、必ずしも特定できない。間違いのない極め付きの悪筆はこの私である。
 もっとも、ずっと前に小西甚一先生から日本文芸史を頂いた時には、お名前の下に「悪筆家元」の四角い楷書の印が押してあった。先生のようにきちんとした字をお書きになる方が悪筆と自称されるのはかなりなジョークか、さもなければ偽悪的である。何れにしても私も断然その道では一派の家元であると思っている。  しかもこの芸は学んで会得できるものではない。だから弟子もいない。もし機会があって、弟子を持つことができれば、家元と弟子とはお互いに読みにくい手紙を交換して首をひねって読み解きに熱中するであろう。  悪筆のくせに字を書くのが好きだから、やたらと原稿やメモを書く。それも大学進学か就職かのお祝いに頂いたパーカー21と言う当時流行の最先端だった流線型の万年筆だから、書くスピードも当然超高速なのだ。  大体が書いているうちに次の文脈が頭の中に浮かんで来てしまうので、忘れないうちに書いてしまわないといけない。そうなれば全体に字が乱れてくる。それを秘書か広報の人がワープロに打って先方に届けてくれる。私の字を読める人は会社でもほんの何人かに限られる。その人達ですらどうしても読めないときには、筆者にこれは何とお書きになったのでしょうか、と恐る恐る尋ねられる。たいていそうした時には本人もうーんと唸るばかりだが、さりとて本人が何を書いたか分からないでは済まされないので、そこは適当にことばをあてはめておかないわけには行かない。
 すると聞いて来た人は、この字はそう読むのですかと言って絶句する。これは悪筆の名人だからこそできる芸で、まことに人騒がせなことだけれど仕方がない。ご免なさい。
 こんなわけで手紙・葉書の類も日に三、四通は書く。それも殆どが葉書で、よくよくのことがなければ手紙にはしない。理由はいくつかある。大体「初夏の候、いよいよご清適の事」などと余分なことを書かなければ、大半の用件は絵葉書の下半分で十分ではないか。それに一々封筒を鋏やペーパーナイフで切って中味を開く手間が省けるに違いない。ただひっくり返せばいいのだから。さらには申し訳ないことに切手代八十円のところが五十円で済んでしまう。
 大体私の葉書を読めないと言って送り返してくる人がないところを見ると、人様は何とか読み解いておられるにちがいない。
 この時代に何で読みにくい悪筆の葉書かと言われるかもしれない。e―メールやワープロ、ファックスがあるのは私だって知っている。しかしみんながワープロになってしまったからこそ、悪筆だろうが肉筆のメールの価値が高まったのだ。顔がその人をあらわすように、字もまたその人のひととなりを写すと言える。だから私も個性のある字で書かれた手紙や葉書に接すると何とも言えないあたたかみを感じるのだ。詩人の吉増剛造さんの字は釘の先で引掻いたようなぽきぽきした書体だけれど、その詩のような美しさを感じる。大岡信さんの毛筆の字は葉書からはみ出しそうに自由で奔放である。こう考えて見ると、なぜか私はワープロ派の人々より自筆派の人々の中に親しい人を見つけるのだ。お互いにアナログ人間だからなのだろうか。
 自分は悪筆であっても、字を見るのは好きである。私のもっとも敬慕する字は何と欧陽詢で、その楷書の極致とされる「九成宮醴泉銘」だ。―皇帝避暑乎九成之宮此則随之仁壽宮也―というような端正な文字を見るだけで雑事にかまけた心を洗われる思いがするのは私だけだろうか。
 考えて見ると象形を基本とする秦字を漢字に合一、昇華させた古代中国の人達の知性には驚く他ない。私は「ことばは力、文字は魔術」であると思っている。それに美意識を吹き込んだ書家たちの力には敬服の他ない。それを機械にだけまかせてしまうのは、人間の人間たる存在を放棄するものだと思うのだが、これはもう下半身が化石化した古い人間の言うことに過ぎないのだろうか。