郵政研究所月報

2001.12

巻頭言
ozaki

「震は亨る」

国民生活金融公庫総裁  尾 崎  護

 いま10月の初旬である。この時期何か書こうとすると、どうしても9月11日米国を襲った多発テロ事件から離れられない。この文が人目に触れるころには事態の展開によってはピントはずれになってしまっているかもしれないが、事件に関連して思い出すことがあるので、それを書いておきたい。
 関東大震災直後に幸田露伴が書いた「震は亨(とお)る」という随筆がある。易経の一卦に「震為雷」というのがあって、「震亨 震来gekiigekii(げきげき)」で始まるのだが、その彖伝(たんでん)(卦の義を統べ説くことば)に「震来gekiigekii(げきげき)恐致福也」とある。露伴は「恐るれば福を致すなり」と読み下している。
 gekiigekii(げきげき)は恐れる意である。地震に恐れおののいたが、恐れることは福を招く。関東大震災は大正12年(1923)に起きた。大正時代は日本は第一次世界大戦で戦勝国側に属して国際的な地位を高め、経済的にも発展して、慢心が始まったころである。露伴は「高慢増長慢等、慢心熾盛(しせい)の外道そのものであった」と書いている。その驕りが災いを招いたもので、地震によって恐れる心を取り戻し、恐懼修省するなら却って幸いだというのである。やはり易経に「君子以恐懼修省(きょうしゅくしゅうせい)」とあって、君子は恐れを知り、身をかえりみて修養するという意味である。
 先般のバブルのころの日本人も露伴のいう慢心熾盛であった。そうしたら阪神・淡路大震災に見舞われたが、恐懼修省する心が足りなかったのか、その後まだ経済停滞から立ち直れないでいる。
 「震は亨る」の亨(こう)は屯(とん)に相対する語である。屯田兵などという使い方からわかるように、屯は「たむろする」という意味で、屯田兵は一カ所にとどまって農耕をする軍隊である。亨はその対語で「詰まっていたものがとおる」という意である。今様に言えば、震によって行き詰まりをブレーク・スルーするという卦であろうか。
 米国がテロで受けた被害は地震のような天災とは違う。大統領は戦争だと宣言している。しかし、突然降ってかかった災いである点では同じである。災いの前、米国が慢心熾盛であったとも言えなくはない。グローバリゼーション、環境問題、宇宙兵器開発、人権問題、国連軽視、企業買収等々、自らの理念に頑なで思いやりに欠けていたような気がする。
 ただ、テロ後の米国の動きは素早かった。まさに雷のごとしである。震為雷だ。各国に働きかけ、イスラム教との宗教対決とか、アラブとの民族対決という文明の衝突になることを避けた。敵はテロリズムだと趣旨徹底した。
 EU、日、韓、加、豪のような同盟関係にある国だけでなく、アラブ諸国、イラン、パキスタン、インド、中国、ロシア、中央アジア諸国などに周到に根回しした。タリバンを承認していたアラブ首長国連邦、サウジアラビアはタリバンとの関係を断絶した。苦渋の末パキスタンも過激派を見放したようだ。米国はテロとの戦いで世界のあらかたの支持を得てから攻撃に出た。テロと闘うには世界各国との協調が必要であることを強く認識したのである。
 今後どうなるかわからないが、結果として、世界がテロ撲滅で一致し、また、米国が国際協調重視の外交路線を選び、国連等国際的な仕組みを通じる活動にこれまで以上の理解を示し、文明の多様性に寛容になるようになれば、米国にとっても、世界にとっても、災いを転じて「震は亨る」結果になることが期待できそうだ。
 なお、幸田露伴は逓信省の電信修技学校に学び、電信技師から文学に転じて名をなした。郵政研究所とご縁がある文人である。