郵政研究所月報

2002.3

巻頭言
matsuura

女性の選択

横浜市立大学商学部教授  松浦 克己

 社会の基礎は人口の増減や人口構成に大きく依存する。わが国で少子・高齢化が言われて久しく、日本の人口が絶対数で減少するのも間近である。日本経済の低迷は10年以上続いているが、多くの人が漠然と感じているのは「明日の生活が今日よりも悪くなる」ということであろう。その根拠の一つが人口構成の高齢化、人口数の絶対的減少で年金や医療などの社会保障制度が維持不可能となり、生活の基盤が失われるのではないかという危惧であろう。
 豊かな社会では夫婦が生む子供数は減少することが知られている。一人一人の子供の成長に、親がより時間をかけようとするからである。いわば「少なく生んで大事に育てる」社会の登場である。一人の女性の生涯での出産数約2.0〜2.1人が、人口の絶対数を維持するための出産水準はである。現代日本では、その数字は約1.33である。豊かな社会の一側面と言い切るには、いささか説明しきれない低水準・低下傾向にある。将来の子供に(今の)現役に年金を支払ってもらおうという事実上の賦課制度が、1.33人という低い出生水準で維持できるはずがないと多くの人々が考えることは自然であろう。奇跡的な高度成長でもない限り、実際不可能であろう。「明日は今日よりも悪くなり」、「子供世代の生活水準が親世代よりも悪くなる」という危惧は拭えないものがある。もちろん年金制度や医療制度の改革は必要である。しかし有配偶者女性の希望する子供数約2.6人に対して、実際の子供数は約2.2人というギャップを考えることがより基本であろう。女性あるいは夫婦の希望を妨げる何らかの要因が疑われるからである。
 「豊かな社会」で女性あるいは夫婦の希望を妨げるものは何であろうか。一つは結婚により、男女、取り分け女性の自由が大きく束縛されることだ。若い女性も自活できるということが豊かな社会のもう一つの姿だ。家(家族)に縛られて、自分の個性や能力が発揮できないのは嫌だと思う女性が増えてもおかしくはない(余談になるが専業主婦の成立は、夫は仕事・妻は家事かつ夫一人の収入で家族が生活できるという、社会風潮と経済事情を背景にして初めて可能となった。日本では昭和30年代のことである)。婚姻率が低下すれば、出生率も低下するであろう。
 多様な働き方、再挑戦が可能な社会の実現の重要性が指摘されている。これは男女とも同様であろう。しかし女性にとってこのハードルは相当に高いものがある。私見だが既婚女性が職場を辞める大きな三つの要因は、1)出産・育児、2)夫の転勤、3)介護、である。最初に選択を迫られるのはa)出産・育児をし仕事を続けるか、b)出産・育児をし仕事を辞めるか、c)仕事を続けて出産・育児を諦める(あるいは子供数を希望よりも少ない数にとどめる)、ということであろう。多様な働き方、再挑戦が可能な社会というのは、女性が出産・育児で退職しても、女性の能力に応じた職に再びつけるということも意味していよう。
 卒業・就職→出産・退職→正規職員・フルタイムでの再就職は容易ではない。大企業や官公庁を辞めて、再び大企業・官公庁で正規のポストを得るのは、残念ながら今の日本では僥倖を望むに等しい。これでは子供を産もうとすればa)かc)、仕事を続けようとすればb)かc)ということになる。もちろんフルタイムの正規職員だけが働き方ではない。パートタイムや短時間労働も選択肢である。実際出産・退職した女性の多くは、パートタイムという形で働いている。問題はパートタイムの労働条件が正規職員に比べてかなり悪く、かつこの20年間で更に低下していることである。意欲や能力のある女性にとって、好ましい状態とは言いにくいのが実状である。女性の多様な選択が妨げられるのは、個人にとっても社会にとっても不幸である。出生率の低下の重要な一因は、ここにあるといえよう。
 労働経済学では女性について「公務員的職業環境」という言葉がある。それは、1)少なくとも建前としては男女平等である(夫は仕事・妻は家事という風潮を肯定しない、いわゆる寿退職や出産退職を強いることも無い)。2)男女平等の建前から自活できる給与が支払われる。3)転勤の時期やポスト・地域が予想できる(出産のタイミングが計算できる)。4)育児支援に肯定的である(育児休業制度がとれないという職場の風潮ではない)。女子学生に公務員の人気が高いのは当然であろう。良い意味で「公務員的職業環境」が普及し、この言葉が死語となり、女性の選択が多様になることを期待している。迂遠なようだが、社会の安定と発展の基礎となると考えるからである。