郵政研究所月報

2002.7

巻頭言
kado

郵便局の逆襲―民営化についての私の夢想―

立教大学法学部教授  角 紀代恵

 3年ほど前、ニューヨークのマンハッタンに1年間あまり暮らしたことがあります。街を歩いていてよく目にしたのが、UPSやFEDEXなどの宅配便の店舗やトラックでした。私も日本との原稿のやりとりなどによく利用したものです。郵便にくらべて、値段は高いのですが、速くて確実なイメージがありました。これに対して郵便の方には「プライオリティ・メール」というのがあり、USPS(合衆国郵政事業公社)が「安い!土曜日も営業!」をウリにしてテレビで宣伝していました。官が民に対抗してテレビ・コマーシャルを打つというのが面白いところです。それでも私がFEDEXを愛用していたのは、日本に送る場合に専用機を持っているFEDEXの方がなんとなく安心だということと、窓口の係員の愛想がよく、しかも仕事が速いということがありました。郵便局の方は、愛想が悪いのは我慢できるとしても、待つのが嫌いな私にとっては、郵便物一つ出すだけなのに一時間待ちは日常茶飯事という状況は耐えられるものではありませんでした。一緒に列に並んでいるお客さんたちも、みんな、いらいらしていました。しかし、そんな有様であるにも拘らず、米国の郵便局が、いつも混んでいて結構繁盛していたのは、「安い」ということもありますが、確定申告の受付けやパスポートの発行などもやっていて、色々な政府サービスの拠点になっているということがあるのだと思います。
 信書の方も、インターネットが発達して個人の私信は減っているものの、まだまだ繁盛しているようです。ダイレクトメールが多いというところは日本も同様でしょう。さらに、米国の場合は企業からの発信物に対する個人からの「返信」が結構多い。つまり、パーソナル・チェックによる支払いです。電気やガス、テレビや新聞、クレジットカードの請求書に対する支払いは、銀行口座からの自動引き落としもあるのですが、多くの人々は今でもひとつひとつ請求内容を確認の上で小切手を郵送するというやり方を好んでいます。請求書には必ず返信用封筒がついていますから、小切手に金額を記入し署名のうえ、切手を貼ってポストに入れるだけですから、そんなに手間はかかりません。日本では、この便利なパーソナルチェックという仕組みがない代わりに、コンビニでの支払いというスタイルが生まれてきました。「自動引き落とし」というのはどうも気持ちが悪い、自分で請求書の中身を確認したうえで好きな時期に支払いたいという消費者の気分にあっています。最近の郵便民営化の議論では、民業の方から信書の受付けもコンビニを拠点にするというアイデアが出ていたのは面白いことだと思います。
 そこで、私が夢想するのは、民業の方がコンビニを拠点にするというなら、民にもポスト設置を義務づけるなどとケチくさいことをいわずに、郵便局の方がコンビニになってしまえばいいということです。特定局というのも、もともとは、一種のフランチャイズですよね。だからといって私が言いたいのは、セブンイレブンやローソンと契約を結んで食品や雑誌を売ったらというのではなく(勿論そうしてもいいのですが)、「サービスのコンビニになったら?」ということです。まず、行政サービスの窓口を何でもやってしまう。確定申告を受け付ける。パスポートの申請や運転免許証書換えの窓口もやる。戸籍謄本や住民票、出生届、婚姻届の取次ぎもやる。不在者投票も受け付ける。さらには交番と合併して24時間営業体制をとる。お巡りさんが店番をしていたら襲うやつもいないでしょう。
 因みに、アメリカでは、郊外や地方には、ほとんど、郵便ポストはありません。一生見たことがない人もいると聞きます。私も、ニューヨークの街角で、アメリカ人から、どうやってポストに手紙を投函するのかと尋ねられたことがあります。発信物があるときには自宅の郵便受けに旗を立てておくと郵便配達員が持っていってくれるのだそうです。ちょっとのどかなやり方ですけど、日本の田舎はもっと安全ですから、やってみてもいいかも知れません。