郵政研究所月報

2002.9

巻頭言
kobayashi

“Rip, Mix, Burn”時代の文化問題

東京大学社会情報研究所教授  小林 宏一

 「文化的遅滞(cultrural lag)」という社会学用語がある。1900年代前半に活躍したアメリカの社会学者、オグバーンは、産業化過程において導入される技術的諸手段のもたらす帰結に、文化・制度的対応が追いつかず、結果として、たとえば自然破壊が進んでしまう事態に注目したのだが、このような事態は、今、コミュニケーション・メディアの領域において、さまざまなかたちで顕在化し、深刻化してきているかに見える。
 アップル・コンピュータは、その時代時代に、コンピュータと社会との関係を予兆させるTV―CMを打ってきているが、オーディオ処理ソフトと焼付け可能なCD装置を内蔵した新製品を発売した1999年のCMもそのひとつである(このCMはhttp://www.asia.apple.com/hardware/ads/ripmixburn.htmlで視聴可能)。雨の中、ひとりの青年が駆けつけたところはさる劇場。客席は彼だけ、しかし舞台にはアメリカの有名なミュージシャン達。彼らに演奏してほしい曲のスタイルや曲名を指定する青年、それをジョーク交じりで請負うミュージシャン達が描かれるなか、“Rip, Mix, Burn”、“Think Different”というロゴが現れて溶暗するというのが、このCMの作りになっている。
 いうまでもなく、このCMが訴求していることは、青年が劇場という空間で試みたと同じことを、身近なパソコン上でやれること、すなわち広大な音楽世界から自分の好みの曲を取り込み(rip)、編集し(mix)、コピーする(burn)ことが可能になっているということにほかならない。このCMには後日談があり、それが放映されて間もないころ、ディズニーのアイズナー会長は、このCMを名指しし「海賊コピーをそそのかすものだ」と非難している。こうした事態がインターネットのブロードバンド化の進展とともにさらにその深刻度を増していることは、Napster問題に象徴されるP2Pファイル交換の台頭と、それに対する音楽・映画業界等の既存著作権側からの厳しい対応の内にみてとることができよう。高度かつ安価なディジタル・メディアの普及がもたらした「複製技術のラジカルな民主化」とでもいえる過程のもとで、目下の趨勢は、著作権法制の強化、著作権保有者側での「コピー・ガード」の強化というかたちで、既存制度の「温存」さらにはその「拡張」を図る方向に傾斜しているといえる。
 しかし、こうした対応は―Lawrence Lessigがその近著“The Future of Ideas”で主張するように―「引用と継承」により豊饒化するという側面を持つ文化そのものの不活性化をもたらす可能性があるのに加え、次のような深刻な「遅滞」ジレンマをもたらしつつある。それは、新しいメディア技術がもたらした可能性に従来型制度(=文化)で対処することによって、他ならぬ当の可能性が抑止されるというジレンマである。“Rip, Mix, Burn”行動を「奨励」するパソコンを生産している部門と、それを敵対視して止まない音楽部門をともに擁する複合メディア企業を考えてみればよい。こうした問題状況はかつてビデオ・デッキの普及期にもみられたことだが、その深刻度は、波及の幅、強さのいずれを取ってみても当時の比ではない。
 この6月に開かれた情報通信学会のブロードバンドに関するシンポジウムの席上、ブロードバンドを介した地上波放送番組の再配信は権利処理のことを考えたばあい、きわめて困難だとする日本側の見解とは対照的に、韓国から参加された世宗大の金教授が「韓国では放送番組が放映された後は共有財視され、その自由な再配信は許容されている」との発言をされていた。こうした韓国の状況は、従来なら―そして現在でも―「著作権後進国」現象のひとつとされるのだが、そうした「後進」性が韓国のADSL普及の主要因のひとつになったこともまた事実なのである。これまで述べてきた「文化遅滞」問題に対する新しい理念・発想に立つ「太陽政策」が求められているのではないだろうか。