郵政研究所月報

2003.1

巻頭言
natori

第二の開国:ローカルからグローバルな時代へ

電気通信大学電気通信学部電子工学科教授  名取 晃子

 250年以上にわたる長期政権でタガの緩んだ江戸幕府は、黒船の訪れをきっかけに崩れ去った。明治維新は、鎖国解除による「第一の開国」でもあり、西欧文明の吸収による近代化とともに歩んだ。しかし、直接に西欧文明に触れることのできた人たち、文明開化のフロンティアは、ごく一部の進取の気性にあふれた若者たちで、一般庶民は彼らの啓蒙活動により間接的に西欧文明なるものを知りえた。
 明治維新から130年のときが流れ、日本人は勤勉と応用の才と器用さを武器にして近代化の道を邁進し、多くの製造技術分野で世界のトップレベルに到達した。同時に、唐、宋の文明を柔軟に摂取したときと同様に、西欧文化を西欧風日本文化に同化させ享受してきた。しかし、国境を越えた人的交流は西欧諸国に比べるとあまり進まず、日本国内の外国人居住者の割合は未だに少ない。このためか、西欧文明の大量流入にも拘らず、異国の文化や多様な価値観に対する身近な理解と評価が、十分に深まっていないように思われる。
 昨今のインターネットの急激な普及によるグローバル化は、国境を問わず瞬時に世界中を結び、まさに「第二の開国」と呼ぶにふさわしい。好むと好まざるとにかかわらず、諸外国の情報が流入、錯綜し、ローカルな安定性を保ってきた日本の体制そのものを揺るがしかねない状況になりつつある。グローバルな世界では多種多様な局所的安定状態が多数存在するので、大局的な安定状態は見出しにくい。グローバル化は折悪しく日本経済のバブル崩壊と重なり、新生日本への指針の創出を難しくしている側面も見られる。「第一の開国」との圧倒的な差異は、インターネットを通して多くの人々が直接世界に接していることであり、開国の間口が多種多様に広がっている。新たなグローバルな時代の到来に、あらゆるジャンルに西欧流の競争原理と自己責任とが要求され、保護と規制に基づく多くの国内慣行が通用しなくなりつつある。
 情報過多のグローバル時代に真に必要なことは何だろうか。物事の真偽、善悪を見分ける判断能力と、多様な価値観の容認と共生、新たな価値観の創生とそれに基づく新しい技術、産業、システムの創出ではなかろうか。
 インターネットを支える情報通信機器の進展は目覚しく、数年前の機器が簡単に更新されていく。修理を依頼すると、性能・価格の勝った新製品の3割近い料金を要求され、泣く泣く諦め廃棄せざるを得ない。また、計算機の使用電力はうなぎのぼりに上昇し、電波の利用空間は拡大し続けている。現在および未来の生活環境、地球環境保全のためには、省資源のためのリサイクル、省エネルギーに貫かれた産業および技術が必須で、そのために知恵と労力とお金をかけなければならない。また、日本は世界一の長寿国で、医療保険制度は高齢者医療費の増大で危機に瀕している。多くの人が健康な老後を願っているのだから、病後の医療費に多大なお金をかけるよりも、予防医学にもっと力をそそぐべきだろう。健康に支障をきたした人たちの自力生活を支援する、医療器具と社会システムの開発も必要であろう。
 グローバルな時代にふさわしい多様な価値観を尊重し、日本の文化、風土、特性にあった得意分野を伸ばしてゆけば、日本の立脚点もおのずと形成されていくのではないだろうか。