第9号(日本評論社・1994.10.発行)

「日本の金融:市場と組織」


          編著: 橘 木 俊詔(*1)、 松 浦 克己(*2)                   
          執筆: 橘 木 俊詔(*1)、 松 浦 克己(*2)、 高 橋 正彦(*3)、
              池 尾 和人(*4)、 小 佐野 広(*5)、 木 村 俊夫(*6)、           
              広 田 真一(*7)、 筒 井 義郎(*8)、 福 田 充男(*9)、                  
              芹 田 敏夫(*10)、 福 田 祐一(*11) 
 決済システムの安定は様々な企業や人々の活動が円滑に行われるための社会的基盤であること、資本市場では資本調達者と投資家の間で情報が偏在していること等にみられるように、金融の分野は完全な競争市場ではあり得ない。また現代の日本企業は一時的に利潤を上げてすぐに解散するのではなく、永続する(goingconcern)組織体であることが組織のコア・メンバーを中心に期待されている。そこでは標準的な経済学の教科書が想定するような動きとは自ずと異なったものがでてくる。

 しかし他国と比べてみても、わが国では信用秩序維持を名分として、金融分野ではより厳しい参入規制や価格規制等の構造規制・行動規制が取られ、市場の参加者に自由な振舞いは許されていない。このことによって戦後復興後のわが国では預金が紙屑になったり、保険金の支払いが不可能になるということなどは防ぐことができた。言ってみれば人々は厳しい規制に守られることで安心してどの金融機関ともつきあうことができたのである。

 しかし、安全の確保にはコストがかかる。安全策が必ずしも安全の保障につながるとは限らない。また人々や企業が、安全であるが窮屈な規制より、リスクを負担してその才覚を生かし、より多くの利潤の獲得とビジネス・チャンスの発見を求めるのも一つの自然な動きである。これは自由な市場活動を通じてはじめて満たされるものである。

 とりわけかつての小国の時代と異なり、今日の日本の金融はその動きが米国をはじめ世界の市場に影響を与える大国である。また企業は海外での起債にみられるように世界の市場をみて行動している。そこでは世界に通用する行動原理や組織論理が求められる。異端や特殊性を金融関係者が言うには日本はあまりにも大きくなりすぎたし、また金融規制や金融機関の組織論理の優先を黙認するほど蓄積を深めた企業や家計の消費者は温順ではあり得なくなっている。

 80−90年代の日本の金融は、この規制と自由な市場活動への要求がぶつかりあい、新しい金融システムの構築が模索され、その中で様々な解決すべき課題がでてきている時代といえよう。その一つの代表は規制の再構築と組織としての金融機関の経営の行動原理の解明であり、一つは金融市場での価格形成の変化である。残された重要な課題は、今後も間違いなくその重要性を増すであろう資本市場の機能のあり方である。

 これらの課題は80年代後半以降の相次ぐ不祥事と、経済の低迷の中で金融システムや金融機関が本来果たしうる役割を十分に発揮していないのではないかという問いの前で、深刻に意識されるようになってきた。しかしそれは問題が重要であることと、従来の厳しい規制と組織のあり方―それは窮屈であっても関係者に安穏な生活を保障した―に変更を迫るだけにまだ十分な議論は尽くされていないし、将来の方向も明快ではないようにみえる。

*1 京都大学経済研究所教授 *2 特別研究官(長崎大学教授)*3 日本銀行金融研究所 *4 慶応義塾大学助教授 *5 大阪大学助教授 *6 住友信託銀行 *7 摂南大学講師 *8 大阪 大学教授 *9 京都産業大学教授 *10 甲南大学講師 *11 大阪大学助手

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