(第7号 1996.7.発行)

『日本の高齢者は貯畜を取り崩しているか?』

−マイクロ・データによる分析を踏まえて−

                     特別研究官(大阪大学助教授) チャールズ・ユウジ・ホリオカ
                     研究官            春日 教測
                     主任研究官          山崎 勝代
                     研究官            渡部 和孝
 本稿では、郵政省郵政研究所が1992年12月に実施した「家計における金融資産選択に関する調査」からの個票データを用いて、日本の高齢者の貯畜行動について吟味している。この調査には、幸い回答者の貯畜行動に関する調査項目がいくつか含まれている。例えば、高齢者の収入源に関する質問があり、1つの選択肢として貯畜の取り崩しが挙げられているし、資産及び負債の過去1年間の増減額に関するデータが得られており、これらのデータから高齢者の貯蓄額(貯畜のフロー)を算出することが出来る。本稿の目的は、この2種類のデータをいずれも用いて、日本の高齢者の貯畜行動を解明することにある。具体的には、日本の高齢者が貯畜を取り崩しているのか否か及び彼らの貯畜又は貯畜の取り崩しの度合と決定要因について吟味している。
 分析結果を要約すると、以下の通りである。第1節では高齢者の収入源、第2節では高齢者の貯蓄額(貯畜のフロー)について吟味しているが、この2種類のデータによる結果はほぼ整合的であり、いずれも働いている高齢者と退職後の高齢者との間の相違を浮き彫りにしている。働いている高齢者は貯畜を取り崩していないどころか、貯畜を続けているのに対し、退職後の高齢者のかなりの割合は貯蓄を取り崩しており、彼らの平均貯蓄額も大きく負である。ライフ・サイクル仮説によれば、高齢者全員が貯蓄を取り崩すのではなく、退職後の高齢者のみが貯蓄を取り崩すとされており、以上の分析結果はライフ・サイクル仮説を支持するものである。
 第3節では、退職後の高齢者の貯蓄額の決定要因について吟味しているが、その分析によると、退職後の高齢者は年々資産の2.76%を取り崩している。取り崩しのスピードは予想よりはやや遅いが、遺産動機、死期等に対する不確実性が存在することを考慮すれば、ライフ・サイクル仮説とほぼ整合的である。但し、取り崩されているのは主に実物資産であり、金融資産の取り崩しが見られるのは主に病気の退職後の高齢者の場合のみである。
 また、同じ分析において遺産動機の退職後の高齢者の貯蓄行動に与える影響−特に、遺産動機を持っていない者よりも遺産動機を持っている者のほうが貯蓄の取り崩しのスピードが遅いか否か−についても検証しているが、分析結果によると、両者の間の関係が認められるのは実物資産と子供等に面倒を見てもらったことに対する見返りとして遺産を残すいわゆる「利己主義的遺産動機」(「交換動機」又は「家族内の暗黙的年金契約」ともいう)との間の場合のみである。しかも、遺産動機を持っていない高齢者の場合よりもなんらかの遺産動機(特に利己主義的遺産動機)を持っている高齢者の場合のほうが子供等から援助を受けている者の割合が高いという結果も得ている。したがって利己主義的遺産動機の場合は、本人の行動にも子供の行動にも予想通りの影響を及ぼす。利己主義的遺産動機の場合は、間接的には自分の貯蓄によって老後の生活を賄うため、ライフ・サイクル仮説と整合的であり、このことを考慮すれば、これらの結果もライフ・サイクル仮説を支持するものである。
 さらに、本稿を通して健康状態の影響についても吟味しているが、ほとんどの結果は、健康状態が高齢者の貯蓄行動に予想通りの影響を与えるということを示している。つまり、就業状態だけではなく、健康状態も高齢者の貯蓄の取り崩しの度合に影響し、貯蓄の取り崩しが最も顕著なのは予想通り病気の退職後の高齢者の場合である。