2.貸倒リスクと公的金融仲介の行動モデル
 公的金融仲介の特性を収支相償という行動原則に求めるとすれば、金融仲介の費用条件が、公的金融のモデル化において決定的な役割を果たすことは容易に理解できるであろう。ここでは、金融仲介の費用条件が少なくとも費用一定ではなく、限界費用は逓増的であるものとする。また、固定費用の存在も許し、平均費用逓減局面での金融仲介機関の操業も許容する。

・モデルの基本構造

 企業は、それぞれ1単位の資金を必要とするプロジェクトを持っており、その成功確率はqであるとする。簡単化のため、成功した場合の収益をθ、失敗すれば収益は0とする。企業は担保となる資産を保有しており、その資産εは[0,εu]の範囲に分布すると仮定する。企業の数は無数にあるとすれば、プロジェクトを実行できるすべての企業のうち、プロジェクトが成功する比率は、大数の法則によってqとみなしうる。企業の株主は有限責任であり、借り入れに対する支払条件は、次のように設定されている。

成功の場合 r 確率q、 失敗の場合 ε* 確率1−q

 ここで、rは、グロスの利子率である。

 次の2つのいずれかの理由によって、借り手がプロジェクト成功時にrを支払わない債務不履行リスクが存在するものとしよう。

1)costly state verification:貸し手が借り手のプロジェクトの成否を確認するためには大きなコストが必要である。

2)プロジェクト成功時に、債務を履行しない借り手に対して、rの支払いを行わせるためのコストが非常に大きい。一方、借り手は、プロジェクトの失敗時はもちろん、成功時にrを支払わなければ、貸出市場から閉め出され、将来の利益機会を失う。この将来の利益機会の期待割引現在価値は、vであると仮定する。

 このような状況では、貸し手は、借り手が成功時に自発的にrを支払うような条件の

下で、貸出を行うであろう。この借り手の債務履行に関する Incentive Compatibility の条件は、明らかに

r ≦ ε + v (1)

特に、ε* を借り入れに必要な最低担保とすると、

 r = ε* + v (1)

 以上のような借り手の誘因両立性条件が存在するため、民間金融機関がプライステイカーとして行動する場合でも、貸出利子率は限界費用価格から乖離することになる。また、寡占的な市場において金融機関が(1)'式を制約として行動するならば、εの分布(需要曲線)を所与として行動することになる。この点が、井上(1997)のモデルの重要なポイントである。



・民間銀行と公的金融機関の貸出行動

 貸出市場は寡占的であると仮定しよう。民間銀行の期待利潤関数は、資金コストをρ、この民間金融機関の貸出量をL、総貸出量をLTとすると、

E(π) = qrL + (1−q)ε*(LT)L − ρL − C(L) (2)

ε* = (ρ + C'− qv)/(1−ηs) (3)

r = {ρ + C'+ (1−q)v − ηsv}/(1−ηs) (4)

η = −(L/ε*)ε*'>0  |η|<1 (5)

 sは、この民間金融機関のシェアであり、s=L/LTである。

 (4)式は、限界的な貸出の増加は、より担保の少ない借り手に対する貸出を意味することを反映している。簡単に言えば、民間金融の貸出利子率は、(資金調達コスト+限界費用+リスク・プレミアム)/(1−ηs)となる。民間金融機関がプライステイカーとして行動する場合は、s=0のケースに相当する。

 一方、公的金融機関は、収支相償原則と(1)'の制約の下で行動するから、

ε*p = ρp + Cp/L − qv (6)

rp = ρp + Cp/L + (1−q)v (7)

 つまり、公的金融の貸出利子率は、資金調達コスト+平均費用+リスク・プレミアムとなる。

 (4)、(7)式を比較すれば、民間金融と公的金融の行動に次のような性質があることが理解できるであろう。

  1. 双方の費用関数と資金調達コストが全く同じであり、異なる借り手グループに貸出を行っているとする。(貸出市場が分断されているとする。)公的金融が平均費用逓増局面で操業するとすれば、同一の貸出利子率で、民間金融にとっての限界的な借り手より、担保が小さい借り手や、失敗の確率が高い借り手に貸出を行うことができる。これは、特に、担保価値が小さくリスクも大きいと考えられるベンチャー・ビジネスへの貸出について、公的金融が「質的補完」を行える可能性を示すものと解釈できる。
  2. 借り手のプロジェクトの失敗確率1−qの上昇に対する金利の反応は、公的金融の方が小さい。
  3. vの上昇に対する金利の反応は、公的金融の方が小さい。
  4. ρの上昇に対する金利の反応は、公的金融の方が小さい。

 民間金融と公的金融の貸出市場が、ある程度分断されているとすれば、(2)、(3)、(4)は、貸出量についてもほぼ同様である。粗く言えば、q、v、ρは、貸出供給曲線のシフト・パラメータであるが、公的金融に比べて民間金融の供給曲線のシフトは、ηsの効果のため大きくなるのである。これらの定性的な性質は、公的金融の貸出量と利子率が、政策的・制度的要因がなくても、収支相償行動をとる限り、景気循環に対して安定的となりうることを示すものであり、従来の言葉で言えば「量的補完」が可能であるということである。実際、公的金融は、平均費用逓減局面では、金利上昇要因となるような、q、v、ρの変化に対して、むしろ貸出量を増加させることが可能である。平均費用逓増局面では、平均費用の上昇は限界費用の上昇より緩やかであるから、やはり、金利、貸出量の変化は、相対的に小さくなる。一方、民間金融機関は、通常は逓増的な限界費用に基づいて行動するから、例えば景気下降局面でq、vが下降するなら、貸出量は減少し、貸出量はプロシクリカルとなる。この意味で、上記のモデルが妥当するならば、公的金融は、貸出量を景気循環に対して、貸出資金をスタビライズする機能を有していると考えられる。すなわち、公的金融について指摘されている多くのスタイライズド・ファクツは、このような公的金融の行動モデルからも説明可能であり、今後もその性質は維持されるものと考えられるのである。

 井上(1997)は、民間金融と公的金融の貸出対象が同一の借り手グループであるとし、プライステイカーとクールノー競争の双方について分析を行っている。しかし、この場合にも、公的金融がカウンターシクリカルな貸出を行う可能性が示されている。特に、クールノー競争を行う場合には、民間金融と公的金融が併存し、公的金融がカウンターシクリカルな貸出を行うことが、経済厚生を改善するような状況が存在することが示されている。貸出市場が分断されており、民間金融の貸出対象となっていない借り手グループの投資プロジェクトが、社会的割引率と貸出の限界費用を上回る収益率を持つならば、それらの借り手への公的金融の貸出が経済厚生を改善することは自明である。

 現実的には、公的金融と民間金融の貸出対象は、最近では重複部分が多くなっている が、80年代以前は、重複する部分もあったにせよ、異なる借り手グループを貸出の対 象としていたと考えられる。それぞれの行動が相互に影響を及ぼしすことは明らかであ るから、実証分析においては、この点に留意し、同時性を考慮した(4)、(7)式の個別 の推計を行う。



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