II.制度補完としての年功序列賃金と預金選好


  1.年功序列賃金制度

 日本的経営の特徴として「終身雇用」と「年功序列」とが良く言及される。これら両者は相まって日本固有の雇用慣行をなし、その効果に関してはいろいろと議論されている。本論文では、この両者のうち特に年功序列賃金制度を取り上げ、それが我が国家計の預金選好をもたらしている、言い換えれば株式非選好をもたらしているとの仮説を検証することを目的とする。  図1には日本、旧西ドイツ、イギリス3カ国の製造業の年齢別賃金プロファイルが示されている。各国とも少なからず30歳頃までは賃金が上昇しているが、それ以降に関して我が国と他2カ国とのプロファイルが決定的に異なっている。2カ国がそれ以降、比較的フラットであるのに対し、我が国のそれは50歳半ば頃まで上昇を続けているのである。また、我が国においては大企業においてよりこの特徴が顕著である。

図1 年齢別賃金プロファイル(製造業)
備考:労働省「賃金構造基本統計調査」、イギリス雇用省「New Earnings Survey」、EC「Structure of Earnin in Industry」(1972年)により作成

備考:労働省「賃金構造基本統計調査報告」により作成。
出所:経済審議会「経済活性化委員会報告」(94年12月)より

 その(実質)賃金が従業員のどのような貢献に対して支払われるかは必ずしも明らかではないが、標準的な経済理論が想定するような「その時点での」限界生産力に等しく支払われているとは考えにくい。もし、そうであるならば日本の限界生産力プロファイルと西ドイツ、イギリスと著しく異なっていることになるが、それは考えにくいからである。実質賃金と限界生産力が乖離しており、仮に我が国の限界生産力プロファイルが西ドイツ、イギリスと大差ないとすれば、我が国の従業員は総じて若い頃は賃金が押さえられていることとなる。その差額をもって企業への「強制貯蓄」あるいは「見えざる出資」と呼ばれている(小林・加護野[1988]、青木・奥野・村松[1996]参照)。

 この見えざる出資は家計から見れば強制貯蓄であるが、その内容は収益の性格から危険資産、すなわち株式に近い貯蓄であると我々は解釈し、仮説を立てることにする。そうであるならば家計は全体のポートフォリオから判断して実際の貯蓄は安全資産に運用することが適当となる。我が国の家計が諸外国に比して預金を選好するのはこのような理由からと考えられる。

 見えざる出資が危険資産に近いと想定する根拠は、第一にそれが比較的長い運用になること、第二に出資は企業の設備投資に他ならず、それからの収益はまさに企業収益であること、の2点である。もちろん、見えざる出資は1企業への出資であり、その収益リスクも1企業のそれであり、従業員はそれと相関の低い株式に運用することは可能である。しかし、マクロ全体で見た場合、平均的な企業の収益はマクロの株式収益と少なからず高い相関を持っていると考えられる。このような理由から、以下では、見えざる出資は平均的にはマーケットポートフォリオでの運用と高い相関を持つと想定する。


 
2.モデル

 賃金が年功序列の場合、株式需要がそれからいかに影響を受けるかを簡単なモデルにしたがって検討する。そのために、まず勤労時代が大きく1期、2期、3期からなる3期間のライフサイクル仮説モデルをベースに年功序列を定式化し、そこから株式需要を導くことにする。

 3期のうち、1期(若年期)、2期(老年期)の2期間勤労し、3期(引退期)目に引退するライフサイクルを想定する。この場合、年功序列とは、企業は従業員に必ずしも彼の能力賃金(生産性)に等しい賃金を毎期支払うのではなく、若年期(モデルでの1期)に能力賃金より低い、また老年期(モデルでの2期)に能力賃金より高い賃金を払うシステムとして定式化される。仮に生産性が一定の場合には賃金は1期より2期の方が高くなり、実際の年功序列を大まかには描写していることになる。その際、若年期の能力賃金マイナス受け取り賃金の差額は企業の資本蓄積に投入される。これが小林・加護野[1988]がかつて「見えざる出資」と呼んだ事実上の内部留保であり、それは見える出資と一緒になって企業の設備投資資金源となる。そして、老年期の賃金は2期の能力賃金に設備投資からの収益が合計されて支払われると解釈することができる。

 このシステムは以下のように定式化される。

 max U(C)+EU(C)/(1+ρ)+EU(C)/(1+ρ)  (1)

 s.t. C=W-Z-S-B                   (2)

   C=W+(1+rZ)Z+(1+rS1)S+(1+r)B-S-B  (3)

   C=(1+rS2)S+(1+r)B         (4)

 (1)式は代表的な家計の3期間からなる期待効用関数、(2)式は1期の予算制約、(3)式は2期の予算制約、(4)式は3期の予算制約式である。
 ここで、ρは時間選好率、Ciはi期の消費、Wiはi期の能力賃金(確定変数だが観測不能)である。Zは見えざる出資(これは家計にとって所与、しかし観測不能)、Siはi期の株式投資であり、rZは見えざる出資からの、rSiはi期の株式からの収益率(確率変数)である。株式収益率は各期独立とする。またBiはi期に保有する安全資産であり、rはその利子率である。
 以上の設定から最適な株式需要Sを求めることが可能となる。しかし、それは一般にrZとrS1との相関に依存しており、解は多少複雑となり、それ以上にその相関係数を推定することは困難である。そこで、以下ではrZとrS1とが「完全に相関している」との仮定の下で解を求めることにする3)。この仮定の下ではZとS1とは同一資産となり、その合計をX1とすると、最適化の結果X1が C、B、とともに決定されることになる。したがって株式需要は

     S=X-Z      (5)

となる。
 我々の仮定の下では見えざる出資があろうとなかろうと、言い換えれば年功序列であろうと能力給制度であろうと、家計が合理的であればX1は同じ水準に決まる。それは家計から見て見えざる出資は株式投資と同じであるので両者を区別する必要はないからである。したがって見えざる出資Zが多ければその分、ポ−トフォリオの視点からは株式需要を減らせばよいのである。(5)式はこのことを表している。
 もし、企業に対し多額の見えざる出資を行っている場合には、株式需要は大きく減少する。たとえば見えざる出資額が、それがなければ選好されたであろう株式保有額を上回る場合(ショートポジションで負の株式保有を取ることは原理的には可能であるが、実際上それは困難であろうから4))、家計の観察される株式需要はゼロとなる。言い換えればドラスティックな年功序列賃金制をひいている場合には、若年期の株式需要はゼロになると考えられる。
したがって観察される株式需要は

      S=max(X-Z、0) (5')

となる。

このように企業の見えざる出資Zがあることによって若年期の株式需要が減少することになる。他方、老年期の株式需要に関してはこの効果はなく、需要は不変である。この若年期の株式需要の減少が、我が国家計の株式需要が少ない原因である。これが我々の主張である。

 より正確に言えば以下のようになる。仮に株式投資収益率の分布の安定性等の仮定によって保有資産に占める危険資産の保有比率θが各期一定になるとすると、若年期、老年期ともに、

   θ=(S+Z)/(S+B+Z)

    =S/(S+B) (6)

となる。この時、簡単な計算から若年期の観察される株式保有は

   S/(S+B)<θ (7)

となり、真の保有比率θより低くなるのである。この若年期の株式保有比率の低下によって経済全体の保有比率も低くなる、というのがここでの主張である。
 以上の議論から明らかなように、年功序列という日本的経営によって株式需要が減少しているので、日本的経営と家計の株式需要停滞(預貯金選好)とは互いに制度補完の関係にあると考えられるのである。
 以上では簡単な3期間モデルで確認したが、次の例によってより連続的なケ-スに関しても再確認しておこう。

(例) 0歳から2T歳まで勤労する従業員を考えてみよう。能力給はこの間 W*で一定と仮定する。他方、図のように横軸に年齢tをとると、年功序列賃金は0からW**に直線的に上昇すると仮定される。両賃金はT歳で一致する。図中の斜線の三角部分が見えざる出資Zとなる。この例の場合は簡単化のためその収益率はゼロとしてある。

図2 賃金プロファイルと株式需要

 能力給をベンチマークとすると、この場合の賃金はW*でフラットで生涯賃金は2W*Tとなる。簡単化のため、株式保有を各時点の賃金(所得)の一定割合δと仮定すると、見えざる出資のない能力給の場合は、その需要はδW*とフラットとなり、2Tまでの需要総額は2δW*Tとなる。
 他方、年功序列賃金の場合には、仮に見えざる出資を無視すると、各時点での需要は0からδW**への右上がりの直線となる。この場合、2Tまでの需要総額はδW**Tとなり、能力給のケースと同じになる(W**=2W*)。ところが見えざる出資を合理的に考慮するとその需要から見えざる出資を控除した残余が実際の株式需要となる。図中、右下の二重斜線の部分が残余の株式需要なり、能力給の場合に比較して株式需要が減少することになる5)。
 さらに重要なことは株式需要がある場合、それは老年期に偏る点である。この例の場合でも、ある高年齢から急速に需要が生じることになる。すなわち若年期には需要はゼロか、あるいは有ってもわずかな需要に留まるのである。



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