郵政研究所ディスカッションペーパー・シリーズ 1998-14



年功序列賃金制度と株式需要
−−何故、わが国家計の株式需要は少ないのか−−



横浜国立大学経営学部 米澤 康博
横浜市立大学商学部 松浦 克己※※
神戸大学経済学部 竹澤 康子※※※





1998・7



年功序列賃金制度の下では、若い時期に限界生産力より低い賃金しか受け取らない。その差額は企業に対する見えざる出資となっている。
 そのために若い時期の株式などの危険資産の投資がその分少なくなる可能性がある。
 1996年の金融資産選択に関する調査を用い、見えざる出資が家計の危険資産保有を減少させているかどうかを、検証した。推計によれば、見えざる出資は、15-25%ほどの危険資産の保有比率を低下させている。



Seniority Wage System Downwardy Affects the Demand for Stocks

Yokohama National University
Yasuhiro Yonezawa

Yokohama City University
Katsumi Matsuura

Kobe University
Yasuko Takezawa

The seniority wage system has lond been practiced Japan. Under this system young workers earn less than their marginal productivity is seen as unobservable equity. This is why there is thus a likelihood thaat young workers demand less risky assets such as stocks. Accordingly, using the 1996 Survey of Monetary Portfolio, We analyzes whether or not unobervable equity depresses the household's demand for risky assets. Our analysis suggests that unobervable equity depresses the ratio of risky asssets to monetary assets by almost 15-20%.




年功序列賃金制度と株式需要
−−何故、わが国家計の株式需要は少ないのか−−


横浜国立大学経営学部 米澤 康博
横浜市立大学商学部 松浦 克己
神戸大学経済学部 竹澤 康子

I はじめに

我が国の株式市場の特徴の一つに家計の資産選択において株式(株式投資信託を含む)保有比率が主要先進国に比して著しく低い点があげられる。金融資産残高に占める株式の比率は1995年末で9.3%であり(日銀資金循環勘定)、米国に比較した場合にはもちろんのこと、金融構造が比較的我が国と近いドイツとの比較においても低いことがわかる(例えば1996年末時点で比較すると、米国は27.5%、ドイツは14%である。野村証券・野村総合研究所「証券統計要覧」参照)。さらに若年層において株式所有割合(株式を所有するかそれとも所有しないか)がかなり低くなっている。たとえば1996年の「家計における金融資産選択に関する調査第5回」(郵政研究所)によれば、危険資産所有比率(株式+投資信託)は20歳代で6.8%、30歳代で17.8%、40歳代で19.2%、50歳代で24.2%、60歳代で31.4%となっている。20歳代等の若年層や中年層等での所有割合がかなり低くなっていることが分かる。

 そもそも株式の保有比率は短期的には株式投資収益率のリスク・リターン特性に依存するが、長期的にはその国の家計の危険回避度に依存する。それが低いということは危険回避度が高いことを意味する。では我が国の家計の危険回避度が諸外国に比して高いから、株式保有比率が低いのであろうか。しかし、両者の関係は実証分析的にはほぼ同値の関係であり、原因の説明にはならない。通常、保有比率から危険回避度を計測するからである(Friend and Blume[1975]参照)。また、諸外国に比して危険回避度が高いということは標準的には考えにくく、また思い当たる根拠もない(下野[1996]参照)。

 以上の認識をもとに、本論文では我が国の家計の株式保有比率の低水準の原因を危険回避度の差異に求めるのではなく、より経済制度的な要因に求めることにし、その原因の解明に努める1)。具体的には、我々はその原因を我が国の年功序列賃金制度に求め、その制度の下での企業への見えざる出資(若年期の低賃金を上回る生産に対する貢献価値が強制的に企業に出資させられている)が家計の株式投資の代替的な貯蓄機能を果たしていることを明らかにする。言い換えれば、我が国の若年家計は多額の見えざる危険資産を強制的に保有させられているので、年功序列賃金制度の下では更なる株式保有を行うことは合理的ではないのである。要するに日本的経営が株式投資を抑制し、より預貯金への選好を高めさせていると解釈できる。

 このような仮説が棄却されなければ、年功序列賃金制度に特徴づけられる日本的経営と株式非選好(預貯金の選好)とは制度補完の関係にあると図式化することができよう。

 我々の仮説が正しければ、それは次のような株式保有構造を示唆する。見えざる出資が強要される若年期は株式保有比率が低く、逆に老年期には保有比率が高くなるはずである。もちろんこの過程で保有資産額が増加し、その資産効果によって危険資産保有比率が増加する可能性があるので、この効果を峻別して判断する必要がある。資産効果を調整してもなお老年期の株式保有比率が高い場合には仮説と整合的であり、それを実証するのがこの論文の目的である。

 本論文では1996年の「家計における金融資産選択に関する調査」(郵政研究所)の個票デ−タを用い、仮説を検証することにする2)。

 以下、第II章では、我が国の年功序列賃金制度を紹介した後、企業への「見えざる出資」の概念を明らかにし、その下での家計の株式需要モデルを定式化する。第III章では既存のConsumption Capital Asset Pricing Model(CCAPM)による経済描写と本論文での描写とどの点が異なるかを明らかにする。第IV章ではIII章のモデルの検証方法を提示する。第V章では検証に用いるデータに関して説明し、その後第VI章で実証分析を行い、その結果を報告する。最後の第VII章で簡単なまとめを行う。



II.制度補完としての年功序列賃金と預金選好
 1. 年功序列賃金制度
 2. モデル



III. CCAPMとの関係



W.株式需要関数の導出
 1. モデル1
 2. モデル2



X.データと変数について
 1. デ−タの概要
 2. 被説明変数、説明変数の取り上げ
 3. サンプルの取り上げ方



Y.推計結果
 1. 計量方法について
 2. モデル1の推計結果
 3. モデル2の推計結果



Z.おわりに

 日本的経営の特徴の一つである年功序列賃金制度に裏付けられた企業への「見えざる出資」が、我が国の家計の株式需要に対して抑制的な効果をもつことが明らかにされた。要するに見えざる出資は強制的な危険資産への投資という性格を有するので、株式投資を代替し、その結果、株式需要が調整されているのである。  現在、我が国の企業経営は希にみる不況に直面し、その経営スタイルの見直しが急務となっている。中でも年功序列賃金制度の改革は予想以上に大きく変革する様相を示している。すでに能力給に変更した企業も少なくない。  問題はこのような変革があった場合、我が国の家計の株式需要は増大することになるが、その程度はどれ程であろうか、という点である。この点に関しては老年期の株式需要関数が参考になろう。例えば、世帯主が50歳あるいは60歳以上の家計では既に見えざる出資からは解放されているとすれば、そこからは純粋な株式需要関数(株式保有比率)を推測することができる。我々の議論からすれば、その関数を用いて若年世代の需要を別途推計することが適当となる。もちろん、株式需要には資産効果があるので若年世代が老年世代と同じ株式保有比率を持つことにはならないが、表4に示すとおり、所有確率、保有比率とも現在よりは約15~20%高くなることが予想できる。現在進められている金融ビッグバンはそれ自体、株式需要や株式投信需要を増加させる効果を持っていると期待されているが、本論文で提示した年功序列賃金制度の崩壊はそれ以上の効果をもつと考えられる。



[参考文献]