1 はじめに

1) ル−ルと裁量

 中央銀行の政策のあり方に関しては、ルールによるべきか裁量によるべきかが80年代から議論されてきた。最近ではルールと裁量の組み合わせによる「信認の獲得」と「機動性の確保」ということが議論されている1)。
 中央銀行の基本的な政策手段としてはマネ−サプライのコントロールと金利政策および準備政策の3つが上げられる。その金利政策の中でも日銀の公定歩合の変更や現状維持に関する政策(discount rate policy)は、その変化の有無が明瞭に外部から観察されるだけに、政策当局のスタンスを示すものとして常に注視されてきた。また74年のFranklin National Bankや84年のContinental Illinoi Bankに対する連銀貸出しの実行、あるいは87年のブラックマンデーの際の連銀貸出政策(discount window)は、公定歩合と中央銀行の最後の貸し手機能(Lender of Last Resort)を結びつけた広い意味での公定歩合政策(discount policy)の重要性を示した。
 我が国でも一部金融機関の相次ぐ破綻や資本市場の不振で、日銀の公定歩合政策が改めて注視されている。実際最近の金融政策に関しても、公定歩合を維持するかあるいは変更するのか、更にはそれに関連して短期金利を低めに誘導するかどうかが、議論の焦点の一つであるとされている。
 中央銀行の政策目標としては、改正日銀法に定められているように物価の安定=通貨価値の維持が基本的なものとして上げられる。しかし70年代以降の日本経済の実際の動きを考えると、石油危機、湾岸戦争、為替の乱高下や株式市場の高騰・暴落あるいは相次ぐ金融機関の破綻等予期せざる(あるいは予想を大きく超える)ショックが発生する異常事態(extreme situations)では、中央銀行は物価の安定以外の要素も考慮して行動せざるを得なかったであろう。言い換えれば、中央銀行は経済がある一定の範囲にとどまる場合は物価の安定を目的としてルール的な政策にしたがい、異常事態にはそれに対応するという、ルールと裁量を組み合わせた免責条項付き(escape clause)政策を採用している可能性が考えられる(Lohman[1992],渡辺[1995]参照)。




2) 日銀の政策目標

70年代半ば以降の日本経済は、第2次オイルショックをはじめとして最近の株式市場の不振・金融システム不安にいたるまで、まさに平時と異常時が繰り返されてきた時代といえよう。あるいはこの時代は高度成長の終焉から安定成長への移行、更には低成長への移行と、潜在的な成長率も変化し、そのために景気動向も一本調子では行かなくなった時代であるといえよう。日本銀行も景気動向や経済成長率の構造的変化に多大な関心を払ったと考えられる。
 また国際化が進み円は変動相場制に移行した。為替取引も原則自由化から完全自由化へと進んだ。その中で為替の変動は日本国内の物価や景気に影響するのみならず、日米摩擦・アジアの経済危機という言葉に象徴されるように国際的な観点からも注目されるに至っている。為替の変動を国際協調の観点からとらえるかどうかは別としても、為替相場の動向が金融政策当局・政府にとり重大な関心事項であることは、繰り返し表明されてきたところである。
 更に第一次オイルショックから第2次オイルショックにかけての70年代から80年代はじめには、地価や株価の資産価格の変動が実物価格の変動に先行していた。その点で株価に代表される資産価格の変動に中央銀行も注目していたとみられる。また近年に至っては資本市場の発達が進み株式市場の動向(資産価格の変動)が企業金融に影響し、かつBIS規制により株式の含み益が銀行の貸出に直接影響を与えるようになった。加えて株価の変動は銀行の自己資本比率への影響を通じて、銀行自体の存続や業務範囲を左右するようになり、金融システムに無視できない大きな効果を持つようになった。そのために政策当局も株価に強い関心を払っている。
 すなわち日銀も物価の安定を中心としながらも、これら景気や為替、株式市場の動向に配意しながら、ルールと裁量を組み合わせた免責条項付き政策を展開してきた可能性がある。もとより実体経済に影響する要因は種々あり、政策指標も多々あるであろう。しかしそれらを日銀が全て観察し、その変化に応じて政策を展開する(state-contigent policy)ことは言うべくして行うことはできない。また予めコミットすることもできないであろう。日銀は、自ずと限られた政策目標に焦点を当てて、政策を展開しているとみることが妥当であろう。




3) 本論文の目的

 日銀の政策目標やスタンスがどのようなものであり、実際にどうコントロールに努めているかは、経済に大きな影響を与える。それだけに政策目標やスタンスが曖昧であれば、中央銀行の信認の確保には結びつかないであろう。前述の通り、公定歩合は日々変動するものではなく、希にその変更が行われるものである。日常的に行われるオペなどと異なり、日銀の政策スタンス(その変化)を明確に示している。また容易にその政策は反転されるものではないだけに、そこには日銀が金融政策の目標として何を目指しているかが端的に反映されているであろう。それが妥当であることと適切なコントロールに努めていることが、中央銀行としての「信認の獲得」と「機動性の確保」による経済の安定につながるであろう。
 しかし公定歩合変更(あるいは現状維持)の決定要因が何であるかの実証分析は少ない(例外として浅子・加納[1989],渡辺[1995]がある)。それらの先行研究も80年代半ば、あるいは93年までの分析にとどまっており、金融システムの不安という異常事態を抱えた近年は含まれていない。そこで本論文では第2次オイルショック時期の76年2月から最近の98年6月までの日銀の公定歩合の変更や現状維持に関する政策(discount rate policy)が何によっているかを、中央銀行の政策目標と考えられる物価、景気、為替、株価に注目して検証することを目的とする2)。
以下本論文の構成を簡単に述べる。次節で70年代半ば以降の経済と公定歩合の動向を概観する。第3節で計量方法について解説し、第4節で推計結果を紹介する。最後に本論文の簡単なまとめを行う。



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