2 70年代半ば以降の公定歩合の動向

1) 公定歩合変更の概要

 76年以降98年7月までの間、日銀は10回の公定歩合引き上げと23回の引き下げを行った。この間には5回の景気循環が含まれている。景気循環の数からいっても76年以降の時期を取り上げれば、日銀の政策反応を十分に見ることができるであろう3)。また図1-5は70年代半ばからの公定歩合の推移(図1)、WPI総合指数の対前年同月比変化率(図2)、IIP(鉱工業生産指数)の対前年同月比増減(図3)、及び円ドルレ−トの逆数(月中平均,図4)とTOPIXの推移(図5)を示したものである。公定歩合は9%という最高水準から0.5%という最低水準まで大きな振幅を示している。WPIも第2次オイルショック期の24.2%から円高不況期の-10.8%、更にバブル期の上昇など顕著な動きを見せている。IIPの増減も11ポイントから-12ポイントと安定とはほど遠い動きを見せている。為替や株価の変動はこれらを上回るものがある。これらの振幅の大きさは日本経済の変動の激しさを示すものといえよう。
 そういう中で、公定歩合の引き上げは、79年4月から80年3月までの5回(3.50%−>9.0%)、89年5月から90年8月までの5回(2.50%−>6.0%)と2つの時期に集中している(図1参照)。前者は第2次オイルショックの物価高騰期、円相場の下落期に当たる(図2,4参照)。後者は株式、土地価格の急騰したバブル末期である(図5参照)
 主な引き下げの時期をみると、まず77年3月から78年3月の景気後退期にかけ4回(6.50%−>3.50%)行われている。円高を目指したプラザ合意後から為替相場の安定を目指したル−ブル合意までの円高不況期等の86年1月から87年2月に4回(5.0%−>2.50%)行われた。更にバブル崩壊後の不況期から金融システムの不安定化が表面化した91年7月から95年9月にかけて9回(6.0%−>0.5%)行われた。明らかに公定歩合引き下げは景気後退期に目立っている(図3参照)といえよう。
 また公定歩合が1年間以上不変であったのは、78年3月17日-79年4月16日(13ヶ月間)の第2次オイルショック前の景気拡張期が上げられる。次に81年12月12日-83年10月21日(22ヶ月間)のメキシコ危機を挟む世界同時不況期と83年10月23日-86年1月29日(27ヶ月間)のプラザ合意を挟む貿易摩擦が激化し、円高が進行した時期が上げられる。この他には、今日に至るまでの経済苦境につながる87年2月24日-89年5月30日(27ヶ月間)のバブル期、及び93年9月22日-95年4月13日(18ヶ月間)のバブル後の景気回復期及び95年9月9日以降現在まで(98年8月で36ヶ月間)の不況、金融システム不安定期を上げることができる。日銀が公定歩合の水準を1年間以上現状維持したのは、この都合6回である4)。
このエピソ-ドは日銀が、物価のみを注視するというよりは景気や為替なども併せて考慮して公定歩合政策を展開している可能性を示唆している。

====図1〜図5====



2) 最近の日銀貸出の動向

広義の公定歩合政策(discount policy)は、公定歩合の変化(その水準)に関するdiscount rate policyと中央銀行貸出に関するdiscount windowを併せて捉えることができる。中央銀行の貸出は季節的な調整に応じるもの(seasonal credit)の他に、一時的な流動性の不足に陥った金融機関に資金を提供し預金の流出などに備えるもの(adjustment credit loans)がある。さらに流動性の危機に陥った金融機関に対するもの(extended credit loans)がある5)。流動性の一時的不足となった金融機関はもとより、流動性の危機に陥った金融機関がインタ−バンク市場から資金を取り入れることは極めて困難であろう。仮に可能であったとしても、非常に高いリスクプレミアムを支払わざるをえないであろう。そのとき中央銀行が低利の(インタ−バンクレ−トを下回るというよりは、その銀行が直面するであろう金利を下回る)公定歩合で資金を供給すれば、流動性の不足は補えるし、あるいは流動性の危機も一時的には回避できる可能性がある。
日銀は97年の11-12月、98年の2-3月に日銀貸出を急増させている(4兆7千億~4兆6千億円,5兆4千億円~5兆2千億円)。この時期は三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券の破綻が相次ぎ、さらに多くの金融機関が決済資金を確保できるかどうか危惧された時期である。この日銀貸出により、日銀貸出/(日銀貸出+コ−ル残高)のシェアは急激に上昇している(図6参照)
 他方この時期はコ−ルレ−トの水準は、0.5%という史上最低水準の公定歩合を下回るように誘導されていた(図7参照)。本来市中金利が公定歩合を下回る状態では、日銀借入れを進めるインセンティブは民間金融機関にはないはずである。それにも関わらず日銀貸出(借入)が増加したのは、流動性の不足や危機に陥った金融機関の支援のために、低水準の公定歩合の設定と日銀貸出の増加がミックスされたdiscount policyが行われたことを示唆している6)。言い換えれば日銀は個別金融機関の経営不安(あるいは金融システムの不安)にも配意して、公定歩合の水準(あるいはその変更)を決定している可能性がある。

====図6~図7====





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