4 定式化と推計結果

1) 定式化

 公定歩合の変更を取り上げた先行研究である浅子・加納[1989]では、実質GNP成長率、GNPデフレ−タの上昇率、名目経常収支赤字/名目GNP、円ドルレ−ト(2期対称変化率)、名目国債残高/名目GNP、米国TBレ−トの6変数を政策目標として取り上げている。また渡辺[1995]は景気動向指数と株価収益率、短観業況判断と株価収益率を組み合わせて説明変数としている。
 分析期間中の76年2月以降の公定歩合引き上げ回数はたかだか10回であるので、多くの説明変数を取り入れることはできない。また多重共線関係の問題もある。そこで本分析では日銀の政策目標としてインフレ、景気、為替、株価の4つの変数に注目して推計を行う。
 月次デ−タによる分析であるので、これらに関する変数も月次デ−タがあるものから採用した。具体的にはインフレはWPIの総合指数の対前年同月比の増減率(%)で代理させた(95年基準)。景気はIIPの対前年同月の増減(95年季節調整済み基準)、為替は円ドルレート(月中平均レ−ト)の二期対称変化によった10)。株価はTOPIXの対前年同月比の増減率(%)を取り上げることにした11)。
 日銀は前期までに利用可能な情報集合を判断材料とするものとして、それぞれの1期ラグを、説明変数として取り上げる。
なお具体的な推計に当たっては、多重共線問題に配慮して、4変数を入れたモデルの他に、適宜に説明変数を組み合わせて行った。このことは、後述するように、政策目標にインフレあるいは景気を含まない場合とそれらを含む場合で、日銀の政策反応がどのような違いを見せるのかという比較の点でも有益である。




2) Frictionモデルによる推計結果

 インフレ率が高まれば公定歩合の引き上げ確率は高まるので、その符号は正が期待される。また景気が上昇する場合も公定歩合の引き上げ確率は高まるので、やはりその符号は正が期待される。為替は円安になれば通貨価値の減少を防ぐ(あるいは国際協調などの観点から貿易摩擦を抑制する)ために公定歩合の引き上げ確率が高まるので、正が期待される12)。また株価が上昇すれば公定歩合引き上げの確率は上昇するので、その符号も正が期待される。インフレ、景気、為替、株価についての符号条件が予測されるので、片側検定を行うことになる。
 結果は表1に掲げるとおりである。

 符号条件は概ね充たされている(例外はケース5の株価)。

 インフレは5%または10%水準で有意に正の値が得られている。景気についても同様である。これからすれば、日銀が公定歩合の変更については、インフレのみならず景気動向にも注視していることがうかがわれる。為替はケース3をのぞき10%水準で有意に正となっている。円安で通貨価値の減少を防ぐ、あるいは国際協調の観点から、公定歩合の変更政策が展開されていることが示唆される。これに対し株価はいずれの場合も統計的に有意な結果は得られていない。
 これからすれば、日銀はインフレ、景気と為替に注目して公定歩合の変更政策を実行しているように見える。

 他方でαの値は正であり符号条件を満たしている。いずれのケースでも約2.3である。このことは日銀は2.3%程度の公定歩合変更要因が働かない限り、公定歩合を変更しないことを示している。しかしながらいわゆるル−ルの問題を考えたとしても、この値は公定歩合の変更という観点からは、いささか大きすぎるように思われる。この問題は、引き上げと引き下げでショックの程度やパラメータが共通であると仮定したことに原因がある可能性がある13)。そこでこの問題を回避するために次にMultinomial Logitモデルによる分析を試みる。

==== 表1====




3) Multinomial Logitモデルによる推計結果

 Multinomial Logitモデルの推計結果自体は表2に掲げるとおりである(公定歩合現状維持を0に基準化している)。現状維持を0に基準化してあるので、引き上げにについてはインフレ、景気、為替、株式の符号は各々正が期待される。逆に引き下げについてはインフレ、景気、為替、株式とも負が期待される。引き上げに関しては概ねこの符号条件は満たされている(例外はケ−ス5の株価)。引き下げに関しては符号条件は全て充たされている。
 4変数を取り入れたケ−ス1でみると、引き上げについてはインフレが1%水準で有意に正である。景気は10%水準で有意に正である。為替と株価は統計的に有意な影響を与えていない。これからすれば日銀はインフレと景気に注目しているように見える。引き下げに関しては景気は5%水準で、また為替は10%水準で有意に負であるが、他の変数は統計的に有意なものとはなっていない。
 両者を通じて有意な変数は景気であり、引き上げと引き下げの両面で景気に注目しているように見える。なお株価は、いずれのケ−スでも統計的に有意な影響を与えていない。

====表2====



 しかし前述の通り、Multinomial Logitモデルの係数自体の解釈は、その程度も統計的有意水準についても困難な面がある。そこでより直接的な解釈を行うために、各々のマ-ジナル効果についてみる(表3参照)。
 ケ−ス1の引き上げのマ-ジナル効果をみるとインフレ、景気、為替、株式はいずれも1%水準で有意に正であり、我々の仮説と整合的な結果が得られている。分析期間の22年間で公定歩合の引き上げはたかだか10回しかないわけであるが、その中で日銀はWPIの上昇という意味でのインフレ抑制を強く意識していたことが示される。それと同時に、景気、為替と株価にも配意したことが分かる。景気の過熱や対外的な通貨価値の安定(あるいは国際協調)も相当重視されていたということであろう。また株式が正ということは資産価格の動向が日銀に取り無視できないファクタ−であることを示唆している14)。あるいは最近では銀行経営の安定にも配意している可能性がある、と言えよう。
 引き下げについては、インフレ、景気、為替、株式はいずれも負となっており、符号条件は充たしている。しかし統計的に有意なものは景気のみでる(5%水準で有意)。他のケースにおいても景気は5%または10%水準で有意な結果となっている。この推計結果からすれば、日銀は公定歩合の引き下げに関しては景気動向に最も注目し、それに影響を与えることを目指していた可能性があるといえよう。
 ただし、景気と為替、株価を組み合わせたケース5(言い換えればインフレを含ま無いケ−スでは)為替も10%水準で有意に負となっている。他のケ−スでは多重共線関係が起きていた可能性もある。そうであれば、日銀は引き下げに当たり為替の動向にも注視していたといえよう。
 引き上げと引き下げを比較すると、インフレは引き上げのみに影響し、景気は引き下げにより強く影響していることが注目される。

====表3====




 公定歩合の現状維持、引き上げ、引き下げの確率がどのように推移したかを次にみてみることにする。
 引き上げに強い影響を示すインフレを明示的に考慮する場合としない場合とでどのように異なる動きをするかをみるために、ケース1~2と説明変数にインフレを含まないケース5(説明変数は景気と為替と株価)を比較する。明らかに前者(図8,10)は第2次オイルショック期の公定歩合の引き上げを十分に捉えている。他方において後者(図13)は、その可能性を追い切れていない。言い換えればこの結果は、物価の安定を目指す日銀の公定歩合の変更政策を分析する上では、インフレを明示的に考慮する必要性があることを示している。
 次に引き下げに影響している景気を明示的に考慮する場合としない場合とでどのような違いがあるのかをみるために、ケ−ス1~2と説明変数に景気を含まないケース4(説明変数はインフレと為替と株価)を比較する(図12参照)。ここでは92年から93年の引き下げの動きをフォーロしきれていない。このことは、景気動向を無視しては日銀の公定歩合変更政策は考えられないことを、示しているといえよう。
 図8、およびケース1に基づき引き下げ確率と引き上げ確率の差の推移を見た図9に見られるように、79年から80年にかけての引き上げ、89年から90年にかけての引き上げは、我々のモデルでも説明できる。ただし76年から77年にかけて、84年後半及び88年の半ばについては、我々の推計からは引き上げ確率が高くなっている。76年頃は物価は上昇していたが、他方で円高も急激に進行していたことや中小企業の不況対策が強く主張されていたことが日銀の判断に影響したのかもしれない。84年についてはメキシコ問題やアジア諸国の通貨切下げが考慮されたのかもしれない。後者はバブルの促進ということで、今日でも批判の対象とされているものである15)
 引き下げについても全体の動きはほぼフォーロしている。注目されるのは98年に入ってからの引き下げ確率の上昇である。過去の例からいって、いつ引き下げが行われても不思議ではない状況となっている。

 (推計を行った8月段階で)引き下げが行われていないのは、0.5%という未曾有の低金利を更に引き下げれば、公定歩合変更政策(discount rate policy)のカ−ドが切れなくなるということが考慮されているのかもしれない。また、0.5%という史上最低水準の公定歩合さえ下回るインターバンク市場のレート誘導の中で、日銀貸出の増加と公定歩合の更なる引き下げという広義の公定歩合政策(discount policy)は、市場に対し日本の金融システム(多くの金融機関)がただならざる状態にあるという、メッセージを出すことにつながることが危惧されているのかもしれない16)

====図8~図13====





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