2 逆乖離について

2.1 逆乖離とは

 転換社債はその他の債券と異なり,額面発行される。上場後しばらくから償還期限直前までに通常設定されている転換請求期間の間はいつでも,発行時に定められた転換価格K(円)で株式に転換できる。すなわち転換社債1枚の額面が100円であるとすると,転換請求によってこれを手放す代わりにq:= 100/K 株の株式を受け取ることが出来る 。8

株価を s円/株とすると,転換社債の権利行使によって得られる価値は,q×s 円である。転換社債は転換を請求しなければ,発行時に定められたクーポン率で利子を受け取ることができ,(企業が倒産しない限り)満期に償還されるのであるから,将来のクーポンおよび元本収入を割引率で割り引くことによって,いわば社債としての現在価値 u をもつ。市場での転換社債1枚(額面100円あたり)の価格 b 円は,この両者の価値を下回ることがないはずである。

b ≧ Min( q×s, u )

右辺の社債としての現在価値 u は,割引率を主として決めているその時々の利子率によって変化し,転換価値 q×s は株価 s によって変化する。

  逆乖離とは,転換価値を転換社債市場価格が割り込んでいる現象であり,

                 b < q×s                 (1)

となっている状況をさす。株式市場で q株の株式を入手するのにq×s円必要であるが,転換社債を1枚購入してこれを転換すれば同じ q 株を入手するのに b 円ですむ。同じものに違った価格がついているわけで,(取引費用を無視すると)「ただ儲け」のチャンスがあるように見える。取引費用はあとで考慮することにして,こうした逆乖離がどのように見られたかを調べてみる。



2.2 データ

 ここでは1985年から1994年までの10年間の日々データを用いる。株価,転換社債価格は(株)野村総合研究所(NRI)より購入した 。10この間に転換社債などの発行資格を定めていた適債基準の緩和が進み ,発行している企業および発行可能な企業の構成は変化しているものの,1995年12月末の時点で570社が1096銘柄を東証に上場しており,過去に償還されていたものを含めると2000を超える銘柄が取引されてきた。NRIより提供された転換社債価格データは,1990年以前については一部が欠落している。すなわち,1989年12月末において東京証券取引所に上場していた約600社が発行した約1200銘柄にかぎられ,それ以前に償還時期がきたもの,あるいは転換が進捗して残存額が減少し上場廃止になったものは含まれていない。

 日々データを扱う作業量の制約から,以下のような手続きでサンプルを抽出した。まず,転換社債価格データが存在する会社の中からランダムに300社を選び出し,東京証券取引所(東証)に上場しているもの約250社分に限定した。これら企業が発行していた転換社債のうち,NRIによる欠落以外は,すべてを分析対象とした。

株価は,基本的には東証のものを用いた。分析対象となった企業の中には,東証に株式を上場していなかったり,分析期間の途中から東証での取引が始まったものがある。東証に株式を上場していないものについては,株式を上場している取引所の株価を用いた。後者の場合や東証以外に上場する取引所があり分析期間の最初のうちは他の取引所における株式取引の方が多い場合は,一週間ほどの出来高を基準にして株価を採用する取引所を切り替えた。一旦切り替えた後,ごくまれに元の取引所の出来高が多い日がみうけられたが,そちらの株価は採用していない。ここでの企業については,名古屋や大阪など他の取引所から東証への一回限りの切り替えしか見受けられなかった。

 発行済み株式数や転換社債残存額については,日々ベースのものが入手できなかった。これらは増資のほか,国内外で発行された転換社債やワラント債の権利行使によって,日々変化している。流動性の指標として,日々の出来高のこれらに対する比率を扱うが,株式については各年度の3月末の発行済み株式数を用いて比率を計算し,転換社債については発行額を用いて計算した。




2.3 逆乖離の計算

 逆乖離となる(1)式は,同一時点の株価と転換社債価格に対して評価しなければならないが,ここでのデータは日々ベースであるため,株価安値 SLと転換社債高値 BH を用いて乖離率λを計算した。

λ:= ( q × SL − BH )/ BH       (2)

逆乖離状態(1)が成立しにくくなるように株価は安値を転換社債価格は高値を使って定義しているから,λは乖離率の下限となっている。下限であるλが正(λ>0 )のとき,ここでは逆乖離とみなす。なおBHの値は,転換社債の買い手が支払うことになる経過利息を日々ベースで計算して,転換社債価格に加えた値である。





2.4 逆乖離はどれだけみられたか

日々ベースで乖離率λを計算し,逆乖離状況を6ケ月毎にまとめたものが表1,1ケ月毎に示したものが図1から図4である。全体でのべ25,522件の逆乖離が見つかった。これを以下データセットAと呼ぶことにする。

 まず逆乖離の発生件数の動きをみてみよう。この期間におけるのべ逆乖離件数をのべデータ件数で割ったものを月単位でみたものが図1である。逆乖離が発生する割合が最大になるのは1989年9月で28.6%となる。期間全体の平均は6.8%である。割合が大きい期間は偏っており1989年から1990年前半までが大きくなっている。バブルの時期は,株式市場,転換社債市場とも加熱気味であったといわれるが,二つの市場の価格比率である乖離率から見ると,1980年代後半は相対的に株式市場の方が加熱気味であったと言えよう。

 同様のことは,銘柄単位で逆乖離の発生をとらえた図2でもうかがえる。逆乖離のある銘柄の割合(一ヶ月中に逆乖離が生じた銘柄数を存在する銘柄数で割ったもの)は最高で66.0%となっており,やはり1987年から1990年にかけてこの割合が大きくなっている。ただし,逆乖離はバブル期特有のものではなく,1990年以降にも見られることに注意されたい。例えば,図2では1994年頃でも10%を越える銘柄で逆乖離が起こっている。

 では1985〜1986年は逆乖離がなかったのかというと,ここでの結果はデータの一部しかみていないため見つからなかったに過ぎないと推測している。表1の「期末データ数」と「東証上場銘柄数」とを比較すると,1987年6月以前については,ここでのサンプルが全体の10%に満たないためのである。

 図3は,逆乖離銘柄が月にどの程度の頻度で逆乖離を起こしているかをみたものである。図3の「最大(◆印)」は各月において逆乖離を生じた日数が最大であった銘柄の逆乖離日数を,「平均(■印)」は1回でも逆乖離があった銘柄についての逆乖離日数の平均を,それぞれ当該月の営業日数で割ったものである。まず最多銘柄についてみると1989年頃は1となっている場合もあり,この銘柄については月中ずっと逆乖離状態が続いていたことがわかる。平均回数についてはおおむね1割を越えており,逆乖離となる銘柄は平均して月に2〜3日は逆乖離が生じるといえる。

 最後に逆乖離の大きさを図4からみてみると,月別の最大値は1987年以降おおむね4%を越えており,最高は1989年8月の17.1%である。平均値(逆乖離があったデータの平均値)も2%程度となっている。

 ここまで,逆乖離について,主として平均と最大値に注目していた。しかし,「最大値」は何らかの原因による特別な値(アウトライヤー)かもしれない。そこで,蓋然性を示せるよう,逆乖離の分布を検討しよう。表1には,上位20%(とそれ以下,以下同様),上位40%,上位60%,上位80%を分ける境界値を掲げた。これにによると,逆乖離となる銘柄の5分の1は,この10年間を平均して2.6%以上の乖離率を示すことがわかる。10%の分岐点をグラフ化した図4では,逆乖離率上位10%の銘柄(とそれ以下90%との分岐点)は, 1980年代平均してではほぼ4%の,1990年代ではほぼ3%の,乖離率となっている。このことは,"大きな"逆乖離の値を示していたのは数少ないアウトライヤーであったのではなく,逆乖離となった銘柄の1割程度が3から4%以上の逆乖離率を示している。

 さらに,特定の1日だけ逆乖離になったものを除いて逆乖離が2日以上続いたものだけをとりだしたところ,15,436件となった。これをサンプルBと呼ぶ。サンプルAの 25,522件と比較すると,全体の約6割は逆乖離が何日か続くことがわかる。図5にサンプルAとBの相対頻度を比較してあるが,これによると両者の差はほとんどないように見受けられる。表2に記述統計量があるが,これを見る限りでも2つのサンプルの分布に大きな差は見られない。このことから,逆乖離はどうやらしばらく放置されているといえよう。

  "放置される"理由を価格調整が十分でないということに求めるのであれば,これを利用して利益があげられるはずである。もしこれを利用した裁定取引によって利益があげられないのであれば,取引の仕組み自体にすばやく価格調整がおこることを阻害する要因があることになろう。次節では,逆乖離を利用した裁定取引−サヤ取り−の取引戦略を提示し,この取引戦略で利益があげられたかどうか,一定の仮定のもとにシミュレートしてみる。




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