3.実証分析


3.1 データ

 ここでは1985年から1994年までの10年間の日々データを用いる。株価,転換社債価格は(株)野村総合研究所(NRI)より購入した 。6 この間に転換社債などの発行資格を定めていた適債基準の緩和が進み7  ,発行している企業および発行可能な企業の構成は変化しているものの,1995年12月末の時点で570社が1096銘柄を東証に上場しており,過去に償還されていたものを含めると2000を超える銘柄が取引されてきた。NRIより提供された転換社債価格データは,1990年以前については一部が欠落している。すなわち,1989年12月末において東京証券取引所に上場していた約600社が発行した約1200銘柄にかぎられ,それ以前に償還時期がきたもの,あるいは転換が進捗して残存額が減少し上場廃止になったものは含まれていない。

 日々データを扱う作業量の制約から,以下のような手続きでサンプルを抽出した。まず,転換社債価格データが存在する会社の中からランダムに300社を選び出し,東京証券取引所(東証)に上場しているもの約250社分に限定した。これら企業が発行していたいた転換社債のうち,NRIによる欠落以外は,すべてを分析対象とした。

 株価は,基本的には東証のものを用いた。分析対象となった企業の中には,東証に株式を上場していなかったり,分析期間の途中から東証での取引が始まったものがある。東証に株式を上場していないものについては,株式を上場している取引所の株価を用いた。後者の場合や東証以外に上場する取引所があり分析期間の最初のうちは他の取引所における株式取引の方が多い場合は,一週間ほどの出来高を基準にして株価を採用する取引所を切り替えた。一旦切り替えた後,ごくまれに元の取引所の出来高が多い日がみうけられたが,そちらの株価は採用していない。ここでの企業については,名古屋や大阪など他の取引所から東証への一回限りの切り替えしか見受けられなかった。

 発行済み株式数については,日々ベースのものが入手できなかった。発行済み株式数は増資のほか,国内外で発行された転換社債やワラント債の権利行使によって,日々変化している。流動性の指標として,株式の日々の出来高の発行済み株式数に対する比率を扱うが,各年度の3月末の発行済み株式数を用いて比率を計算した。




3.2 逆乖離率の計算方法とその頻度

 逆乖離は,同一時点の株価と転換社債価格に対して評価しなければならないが,ここでのデータは日々ベースであるため,株価安値 SLと転換社債高値 BH を用いて乖離率λを計算した。

逆乖離状態(2)が成立しにくくなるように株価は安値を転換社債価格は高値を使って定義しているから,λは乖離率の下限となっている。下限であるλが正(λ>0 )のとき,ここでは逆乖離とみなす。なおBHの値は,転換社債の買い手が支払うことになる経過利息を日々ベースで計算して,転換社債価格に加えた値である。なお,ここでの定義は一般の定義が株価を分母にした比較であるのに対し,転換社債価格を分母にした比較となっている点が異なる。谷川=古家[1998]の定義に合わせている。

 日々ベースで逆乖離率λを計算したところ,この10年間で25,522件の逆乖離が見つかった。これをデータセットAと呼ぶ。逆乖離はたまたま株価や転換社債の高値・安値にアウトライヤーがあったために観察された場合もありえる。もしこれがアウトライヤーであれば2日以上にわたって続くことはないと考えられるので,2営業日以上引き続いたものだけを取り出したところ,15,436件となった。これをデータセットBと呼ぶ。信用制度を分析するためには,信用銘柄ないし貸借銘柄を除くべきである。ここではデータセットBから株式の値付き日率が80%以下のものを除外した 。8 これら15,278件をデータセットCと呼ぶ。表1に,逆乖離率λの記述統計量を掲げた。




3.3 実証方法

 無リスク裁定の機会は存在していなかったと仮定する。既に述べたように,逆乖離に際して作る「転換社債の買い,株式の信用売り」というポジションの取引費用の大きさが,逆乖離に許される最大値となっているはずである。そうした取引費用を上回る状態は,「無リスク裁定取引の非存在」という仮定により,裁定取引がおこなわれることで解消してしまう。これまでに考慮した取引費用は,次の4つの要素からなっている。

1) 売買委託手数料および有価証券取引税
2) 委託証拠金の機会費用
3) 追い証にもとづくオプション・プレミアム
4) 逆日歩にもとづくオプション・プレミアム

既に述べたように,1)に関しては日々ベースのデータからは正確な値を推定しづらく,2)に関しては金利の日々データを持ち合わせていないため推定しづらく,3)に関しては金利日々データの欠如と評価の困難性があり,4)についてはここでの応用に足るような理論モデルが開発されていない。

そこで3.2節で見つかった25,522から15,278件の逆乖離は,取引費用を構成する4つの項目によって説明できるもの仮定する。オプション・プレミアムが大きく取引費用が大きい状況では,大きな値の逆乖離でも放置され,観測されやすいと考えるのである。すなわち,逆乖離率λについて,以下のような回帰分析を行う。

ここで説明変数Xとしては,1)から3)の取引費用を決定する変数を用いる。

 オプションプレミアムを定めるが1)や2)の取引費用とは関係がない変数で,有意なものが見つかれば,追い証にもとづくオプションが確認できた事になる。ここでは具体的なオプション・モデルを用いないが,コール・オプションからの類推によって,株価ボラティリティや株価などを用いる。株価はオプションの対象となる原資産価格であると共に,約定代金に証拠金維持率をかけた値が「追い証」のトリガーとなるので,行使価格の役割も果たす。信用取引の期間は3ケ月ないし6ケ月が可能であるが,転換請求請求した株価の受取り時に反対売買を行なって2週間程度で解消すると仮定する。すなわち,通常オプション価値に影響する満期までの長さは,ここでは全取引で一定とし説明変数には加えない。

 変数は3.2節の分析と同じデータ・ソースから算出した。逆乖離が発生した日TODAYの株価や転換社債価格は,他の変数との釣り合い上1000でわったもの STPR/1000, CBPR/1000 と,対数をとったもの LOGSTPR,LOGCBPR を用意した。TODAYから過去60営業日分の株価収益率から標準偏差を計算して,株価ボラティリティSTDEVとした。また,株式の流動性をみる指標として,過去60営業日において株式市場で取引が成立した日数を営業日数60で割ったものSTNETSUKI(値付日比率),および逆乖離発生日の株式出来高を発行済み株式数で割ったものSTVOLRATIOを用いた。表1にこれらの変数の記述統計量を掲げた。




3.4 実証結果

 回帰分析の結果は,表2にまとめた。銘柄毎の価格(特に株価)のばらつきが著しいのでこれを緩和するため対数値を用意したが,係数は異なるものの結果に大きな変化は見られない。逆乖離が発生した日TODAYを入れたのは,谷川=古家[1998]が報告しているように1980年代後半は逆乖離率が大きいので時点ダミーの役割を果たす。TODAY は有意にマイナスであって最近は逆乖離の大きさが低下していることを示しているが,他の説明変数の計測結果には影響を与えていない。

 まず,株価ボラティリティは有意にプラスである。このことは,信用取引におけるオプション性が逆乖離に影響を与えているということを支持する。

 すべての営業日で取引があって株式値付日比率が1に近かったり,その出来高が大きい銘柄では,逆乖離となるような値付けは起こりにくいはずである。あるいは,大きく値が飛んで「追い証」を発生させてしまうようなことも少ないと思われる。こうした想定が正しいとき,これら2変数が逆乖離に与える効果はマイナスの符号が予想される。回帰結果は想定のとおりとなった。なお,ボラティリティ,株式値付日比率,出来高比率は,売買委託手数料や有価証券取引税,委託証拠金の機会費用とは関係しないことに注意されたい。

 株価や転換社債価格と,約定代金との間にはとりたてて関係が存在しないと思われる。投資資金すなわち約定代金が同じであっても,(一株あたり)株価が低い銘柄をたくさん売買することもあれば,株価が高い銘柄を少し売買するということも起こり得るからである。仮にこれら価格と約定代金とに正の相関があると仮定できるならば,約定代金が上昇するに伴って売買委託手数料率が小さくなっていく現在の手数料体系のもとでは,価格は逆乖離にマイナスの効果がみられるはずである。

 実証結果では,転換社債価格は逆乖離にプラスとなった。これまで転換社債の購入代金を調達するコストを考慮してこなかったが,その効果が出ているものと思われる。

 ただし株価については,委託保証金の機会費用およびオプションの行使価格にも影響を与える。先の例では委託証拠金を調達することが追加的な費用があるような試算をしたが,約定代金が上昇した場合,信用取引の売り方金利と委託証拠金の調達金利の相対的な値によって,機会費用が増えるケースも減るケースもありうる。オプションプレミアムについては,約定代金が下がれば小さくなると考えられる。いずれにせよ,株価約定代金との正相関を再び仮定したところで,株価が逆乖離に与える方向は,理論的には確定しない。結果はマイナスであった。

 表2における回帰結果は,「株式出来高/発行済株式数」で定義した株式流動性指標を除いて,サンプルAとBとでは差が見られなかった。サンプルAでは,この株式流動性が高いと逆乖離率は有意に小さくなるが,サンプルBでは,有意な影響を与えていない。このことから,1日限りの逆乖離は,株式出来高が小さかったため引き起こされていたと推測できる。サンプルBのように何日も続くような逆乖離に対しては,株式出来高は影響しない。この意味で,株式市場の流動性−株式が売却できない可能性があること−は,逆乖離とは関係していないと推論できる。

 また,サンプルCの回帰結果はサンプルBとほぼ同じである。このことから,やや厳密さを欠くものの,ここでの実証結果を信用・貸借銘柄に対して行ったものという解釈が許されるであろう。

 以上をまとめると,観測された逆乖離の大きさは,これに対して無リスクの裁定利益を得るためポジションを作るためのコストと相関しており,取引コストが大きいために逆乖離状態が放置されていたという解釈が可能な結果となった。



  1. 平成8年〜9年度文部省科学研究費(課題番号08630092)による研究補助金によった。

  2. 1996年1月に適債基準は完全に撤廃された。

  3. 東証における信用銘柄(投資家と証券会社間の貸借)ないし貸借銘柄(証券会社と証券金融会社間との貸借)の選定・取り消し基準として,上場廃止見込みのもの,管理ポスト・整理ポストのものの他,売買高による基準がある。東証において月平均の売買高が10万株以上あり,値付日数が立会い日数の8割以上でなければならない。他の取引所でこれら売買高の基準を満たすものは,それぞれ5万株,4割という制約となっている。



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