1. はじめに

(技術革新の意味)

 技術革新は経済成長の大きな要因である。また技術革新は新しい産業や職種の勃興をもたらすと共に、陳腐化された分野の退出を促す社会におけるイノベ−ションの機能を果たす。このイノベ−ションは経済構造の転換を図り成長を促進するために国内的にも必要である。それだけでなく、後進国の円滑なキャッチ・アップを進めるためには、先進国から後進国への産業の移転が順調に行われることが必要であるという点で国際的にも重要である。

 技術革新によるイノベーションが進むためには、個々の労働者が技術革新に積極的に対応するような、インセンティブが与えられていることが必要である。技術革新へ積極的に対応するということは、その労働者が新たなskillを修得する等の人的投資を行うことである。それに対する十分な収益が得られなければ、人はそのような努力をせず、結果として社会全体のイノベーションも阻害されるであろう。言い換えれば個々の労働者にとっては、技術革新に積極的に対応することでその生産性が高まる場合には市場価値(賃金)の上昇につながることが期待される。逆に技術革新に遅れをとるときは、その労働者の市場価値を減少させることが予想される。つまり技術革新への対応の成果が賃金に反映するようなメカニズムが機能することが、イノベーションの実現のために求められる。

 このように技術革新は、産業や職種の交代というル−トと個別の労働者の対応の差というル−トを通じて労働市場に大きな影響をもたらすことが、想定される。

 近年の技術革新の中でもコンピューターやパソコンの急速な普及は、情報通信産業の進展という産業の勃興だけでなく、労働技術の大きな変革をもたらすことでほぼ全ての産業の労働市場に横断的に影響している。とりわけパソコンはその価格の低廉性や操作性の相対的容易さ、あるいは個人単位で使用可能という利便性を有している。そのためにパソコンは金融のデリバティブなどの最先端の業務はもとより、経理をはじめとして多くの仕事を処理するうえで効率性を高めるので、企業などに急速に浸透しつつある。



(先行研究)

 日本に関しては、労働白書[1997]が賃金構造基本調査(80年、85年、90年、95年)を用いてコンピューター関連職種労働者(SE、電算オペレ−タ−、プログラマ−)の給与水準を分析している。そこでは学歴、年齢、勤続年数の属性を調整しても、これらの職種の賃金水準が平均よりも低く、かつその格差が拡大傾向にあることを示している。またリクルート版労働白書[1998]では24職種の賃金満足度の調査でSEの54%が賃金に不満を持っており、それは職種の中でも2番目に高いことを報告している。これは一見すると、情報化時代における技術革新への対応が負の収益を生んでいるようにみえる結果である。

 しかし労働省やリクルート・リサーチの分析は職種を限定しているので、パソコンに代表される高度な情報処理能力の賃金に与える影響を広範な労働市場で捉えるには必ずしも適切ではない 。1 また職種を限定しているために、パソコンがかつては熟練を要した仕事を単純労働に変えることがある(de-skill job)という側面に、考慮が必ずしも払われていない(Levy and Murnane[1996]参照)という問題がある。

一方米国では、1980年代以降、熟練労働者に偏った技術革新(skill biased technological change)が進み、より高度な技術を持つ者に対する労働需要が上昇し、反面陳腐化した技術に対する需要が減少することで、それにより賃金格差が拡大したのではないかということが報告されている(Bound and Johnson[1992]、[1995]参照) 。2

 特にKrueger[1993]は、Skill biased technological changeをコンピューターの使用と結びつけて、その仕事での利用が賃金を上昇させていることを実証している。Kruegerは1984年と89年のCurrent Population Survey (CPS)を用い、米国において仕事でコンピューターを使用する労働者は使用しない労働者に比べ10〜15%高い賃金を得ており、かつその差が拡大していること、及び学歴間の賃金格差のうち3分の1から2分の1がコンピューター利用の有無によることを報告している。

 他方でDiNardo and Pischke [1997]はドイツのQualification and Carrer Survey(1979年、85-86年、91-92年)とアメリカのCPS(84年、89年、93年)を用いて比較分析している。そこでは米独両国でコンピュ−タ−利用により賃金の上昇は観察されるものの、ホワイトカラ−が用いる電話、電卓、ペンシルの利用の有無でも賃金格差は観察されるとしている。そこからDiNardo and Pischkeは、この賃金の上昇は、コンピュ−タ−利用がまず高度の技術を持った人や高賃金の職種に導入されたことによるもので、コンピュ−タ−を利用する技術とは関連が無いのではないかと報告している 。3 , 4

Krueger[1993]とDiNardo and Pischke[1997]の相異なる解釈はどのように理解すればよいのであろうか。その一つの要因としては、両者がいずれもOLSで賃金関数のみを分析しているのでコンピュ−タ−利用と賃金との双方向的な因果関係を考慮していないことが考えられる。即ち、skill biased technological changeによる労働需要の増加に対応でき、パソコンに代表される情報処理能力を身につけ技術革新に積極的に対応している人は労働生産性の上昇により賃金が上昇し、反面この技術革新に対応していない人はそのスキルが陳腐化しているので相対的に賃金も低下しているであろう。このとき、労働者は高賃金を得るために最新技術を習得する(exパソコンを所有し人的な投資を行う)が、同時に高賃金高賃金が人的な投資を可能にする側面もある。この点が考慮されていないことが、同じような推計結果に異なる解釈を与えたとも考えられる 。5



(本論文の目的)

 労働白書[1997]が示唆するように、技術革新への対応やhigh skillの修得が負の収益しか生まないのであれば、個々の労働者は新たな努力を行わず社会全体のイノベーションも阻害されよう。事実職場でのパソコンやコンピューターの利用はかなり進みつつあるが、それを使いこなすのはそれほど容易ではない 。6 使いこなすためには相当の訓練や自己投資が必要である。パソコンの仕事での利用はホワイトカラーで約56%(1995年総理府「科学技術と社会に関する世論調査」)にのぼるが、パソコンの家計での普及率は約20%(1994年「全国消費実態調査」)にとどまる。言い換えれば、パソコンを自ら購入し所有するという形で、人的投資を行い技術革新に積極的に対応しようとしている人は94、95年の段階では少数派である。

 技術革新への対応が負の収益しか生まないのならば多くの人が対応しないのは自然である。しかしそれでは産業構造の転換も進まず、経済成長や社会のイノベーションも期待することはできない。そこで本論文では1994年の「全国消費実態調査」(以下「全消」という)を用いて、パソコンを家計で所有するという意味で人的投資を行い、技術革新に積極的に対応しようとしている人は、情報処理能力等のhigh skillを身につけており、その労働者の限界生産性を上昇させ、身につけていない人に比べて、賃金を上昇さているのではないかということを検証する。言い換えれば労働省等の報告とは逆に、技術革新への対応が正の収益を生み、イノベーションを進めるためのメカニズムが機能しているのではないかということを明らかにする。これが本論文の第一の目的である。

 本稿では、新技術への対応が賃金を上昇させているか否か、技術革新への対応に対するインセンティブメカニズムが機能しているかどうかということに焦点を当てるので、パソコンを仕事で利用するか利用しないかということではなく、パソコンを持っているか否かということに注目する 。7 , 8

パソコンの利用の有無が一律に賃金上昇や賃金格差を生んでいるというよりは、パソコンを購入するという形で自ら積極的に投資する人は新技術に積極的積極的に対応しようとする労働者であり、そこに人的資本が蓄積されていると想定する方がより自然であると考えられるからである。これが本論文の第二の特色である。

また分析の対象を職種ではなく民間部門のホワイトカラ−に当てることにする。全消では職種の詳細を知り得ないということもあるが、パソコンの利用は職種を超えて広範囲に行われている。職種によってはhigh skillの利用もあるが、de-skillされた単純業務もあるので労働市場での広範な影響を捉えきれない、ということに配慮するものである。

 分析に当たっては、KruegerとDiNardo and Pischkeの議論に鑑み、パソコンの利用に代表される高度な技術を持つから賃金が高いのか、あるいは賃金が高いからパソコンを利用するのかということに関して、両者の因果関係を明らかにすることを目指す。そのために、賃金とパソコン所有の有無について、連続変数と二値的変数の同時決定性が明示的に考慮される。これが本論文の第三の特色である。

以下本論文の概要を述べる。2節ではパソコンの普及状況について概説する。3節で具体的な実証モデルの導出と併せて実際の推計に用いるデータについて解説する。4節で同時方程式の計量方法について解説すると共に推計結果の紹介し、5節で本論文の簡単なまとめと残された課題について触れる。


  1. この他に産業間格差、企業規模間格差がコントロールされていないという問題もある。
  2. より高度な技術を持つ者に対する労働需要が上昇し、反面陳腐化した技術に対する需要が減少することで、相対的な所得格差が上昇することについては、Gottschalk and Smeeding[1997]も参照。
  3. 欧米の実証研究のサーベイについては清水[1998]も参照。
  4. 資金の潤沢な企業がコンピューターを導入したという可能性もある。
  5. パソコン、統計、英会話が高賃金を得る転職の条件と報道されている。しかしこれらの高度な技術を習得するためには高い所得を必要とするであろう。DiNardo and Pischkeは、この側面を閑却しているように思われる。
  6. Windows95,98が登場したとき、誰もが簡単に使えるような触れ込みであったが、実際には多くのトラブルが生じたことは良く知られている。
  7. パソコンの職場での利用はde-skill jobの問題もあるが、de-skillを促進するために自ら投資するとは考えられない。
  8. 全消では、職場におけるパソコンの利用の有無を知ることができないという、デ−タ上の制約の問題もある。


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