1. はじめに


電気通信事業は莫大な設備投資を必要とするため、自然独占が成立する典型的な分野の一つであると考えられてきた。自然独占が成立する場合、限界費用価格形成原理に従った料金設定では事業存続が不可能であり、社会的厚生の最大化を目指すためには、何らかの料金規制が必要である。望ましい料金規制は経済的効率性を満たすことが求められ、そのためには、規模の経済性、範囲の経済性の検討を行う供給サイドの費用構造の分析と並んで、需要関数を推定し、需要の価格弾力性を計測するといった需要サイドの分析が必要である。  例えば、次善料金の一つであるRamsey料金の算出にあたっては、有名な逆弾力性ルールに特徴づけられるように、需要弾力性に関する情報を欠くことはできない。また、消費者グループ毎に電気通信サービスの価格弾力性が異なる場合、通信料金の低廉化が消費者全体に及ぼすメリットがグループ間で不均等に分配されることになり、所得分配の観点から問題がある事態が生じる可能性がある。通信サービスの料金規制においては、こういった点にも配慮することが望ましい。

 通話需要関数を推定し、需要の弾力性を計測することによって、以上の政策議論のための基礎資料を提供することが本研究の目的である。ところで、米国では1980年頃までは利益の大きい長距離通話の需要に関しての実証研究が、また同市場で競争が進展し、市内への内部補助が困難となった後は加入と市内通話の需要に関する実証研究が盛んに行われ、その成果はL. Taylor[1994]で包括的にサーベイされている。これに対し、わが国の通話需要の研究は、星合・上田[1994]、松浦・橘木[1991]、三友[1995]、斯波・中妻[1993]、河村[1996]など、数例が挙げられるに過ぎず、しかも、大半は入手が相対的に容易な集計データに依拠している。集計データに基づく通話需要関数は、最適二部料金の算定(三友[1995])や、インフラ構築などの新規プロジェクトの収支予測(鬼木[1996]、第3章)に活用することができが、集計データは属性の異なる世帯間は勿論、世帯と企業という全く別種の経済主体の行動までを集計して作成されるので、その平均的な値は如何なる経済主体にも適度には近似せず、状況(説明変数)の変化が個々の経済主体に及ぼす影響を正確に予測できない。そうした目的に対しては、Perl and W.Taylor [1991]が行ったように、アンケート調査で得られた個別データに分析を立脚させる必要がある。米国では1970年代にBrandonを中心に世帯所得や、世帯主の年齢、世帯構成などの人口統計学的属性と電話使用に関する調査・研究が行われている(Brandon(ed.)[1981])。 さて、わが国の場合、家計調査年報(総務庁統計局)に記されたデータによれば、技術の飛躍的な進歩や情報通信に対する需要の多様化・高度化にもかかわらず、電話サービスに対する支出金額(基本料金部分を含む)は、過去20年間、全消費支出の1.8%前後を安定的に推移していることが示されている。一方、1985年の第一次情報通信改革の成果である競争導入により電話サービスを巡る競争は活発で、特に厳しい競争がみられる県間通話の分野における長距離系NCCのシェアは35.7%(96年度)に達している。世帯が電話サービスに対して割り当てる支出額の消費に占める割合は変わらないものの、実際にどの事業者のサービスに対して支払うかについては大きく変化してきていることになる。

 こういった点に着目し、本稿では、郵政研究所が実施したアンケート調査を元に固定電話事業者(日本電信電話梶mNTT]、並びに、長距離系第一種電気通信事業者[NCC])及び携帯電話事業者が提供する電話サービスに関する通話需要関数を求め、支出弾力性、自己価格弾力性、及び、交差価格弾力性を推定し、併せて、当該世帯の家族構成がこれら弾力性に及ぼす影響を明らかにすることを試みる。 本稿の構成は以下のとおりである。まず、2.節において今回の分析のもととなったデータの概要を示す。そこでは、アンケートの概要とデータの特性(2.1.節)、さらに、家族の属性が各電話サービスの支出シェアに及ぼしている影響とその背景が明らかにする(2.2.節、2.2.2.節)。3.節以降では、AI需要体系(Almost Ideal Demand System:AIDS)を用いた通話需要関数の推定を行い、加入パターン別、家族属性別の支出弾力性及び価格弾力性の算出を試み、最後の4.節で全体のまとめと今後の課題の整理を行う。



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