日本人の目的別貯蓄額

「家計における金融資産選択に関する調査」の1994年調査からの個票データに拠る推計

チャールズ・ユウジ・ホリオカ
大阪大学経済研究所助教授
郵政研究所特区別研究官

渡部和孝
郵政省郵政研究所研究官

1996年9月

 本稿の作成に当たり郵政省郵政研究所第二経営経済研究部の太田清前部長(経済企画庁)、浜田浩児部長、蟹江健一主任研究官、藤崎秀樹研究官、神谷佳孝研究官(日本生命)及び赤木博文、James Albrecht、麻生良文、David Campbell、Susan Collins、Paul Evans、八田達夫、早川弘晃、伊藤隆敏、岩本康志、Donaldo katzner、北村行伸、久我清、牧厚志、溝口敏行、森口親司、村田啓子、根本次郎、小川一夫、大竹文夫、Hugh Patrick、西篠辰義、斎藤誠、瀬古美喜、下野恵子、橘木俊詔、Douglas Vickers氏から貴重な助言を頂いた。ここに記して感謝の意を表したい。


要旨
 本稿は、郵政省郵政研究所が1994年11月に実施した「家計における金融資産選択に関する調査」からの個票データを用いて12の貯蓄目的のための純貯蓄額を推計し、各目的のための貯蓄が家計貯蓄の総額にどの程度貢献しているかを明らかにしている。本稿の分析結果によれば、日本ではライフ・サイクル・モデルと整合的である老後目的及び予備的目的のための純貯蓄が圧倒的に重要であり、日本人は各ライフ・ステージにおいてそのライフ・ステージに見合った目的のために貯蓄又は貯蓄の取り崩しをしている。これらの結果はいずれもライフ・サイクル・モデルの日本における適用度が極めて高いと言うことを示唆する。


1、はじめに

 なぜ日本人は貯蓄をするのか?つまり、日本人はどのような目的のために貯蓄をするのか?本稿は、郵政省郵政研究所が1994年11月に実施した「家計における金融資金選択に関する調査」からの個票データを用いて12の貯蓄目的のための純貯蓄額を推計し、各目的のための貯蓄が家計貯蓄にどの程度貢献しているかを明らかにしている。我々が知る限り、ホリオカ、横田、宮地、春日(1996)を除けば、これだけ多くの目的のための純貯蓄額を推計しようとする試みは本稿が初めてであり、個票データを用いた分析も本稿がはじめてである。しかも、本稿は全世帯の場合の結果のみならず、居住形態の結果も、世帯主の年齢階級別の結果も示しており、この点に置いても本稿がはじめての試みである1)

 各国の経済において貯蓄(特に家計貯蓄)が極めて重要な役割を果たすことは言うまでもない。まず、貯蓄は、国内投資の財源となり、国内投資を資金的に支えることによって経済成長に貢献する。また、貯蓄が海外に流れ、資金不足に悩まされている国で役立つこともある。日本の場合は、1950年代、1960年代、1970年代前半の高度成長期においては貯蓄は主に国内投資の財源となり、高度成長に大きく貢献し、1980年代後半以降は、そのかなりの部分が海外に流れ、アメリカ、発展途上国等の資金不足を補っている。したがって、時代とともに日本の地貯蓄の役割は変わってきているが、その役割が他の国の場合以上に重要であることは変わっていない。そして、貯蓄が重要な役割を果たしている以上は、人々の貯蓄行動をより深く理解することが望まれる。

 また、特に貯蓄目的について分析することは少なくとも2つの意義がある。第1に、人々が合理的である限り、彼らは何らかの目的があって貯蓄をしているはずであり、日本人の貯蓄目的を分析することによって彼らの貯蓄行動に対する我々の理解を深めることができるはずである。例えば、日本の高い家計貯蓄率の原因、家計貯蓄率の時間的趨勢の決定要因、家計貯蓄率の今後の動向、家計間の貯蓄率の格差の原因等を明らかにすることができるであろう。

 第2に、日本人の貯蓄目的を分析することによって、日本においてどの経済モデルがより適用度が高いのかを明らかにすることができるであろう。貯蓄目的モデルは数多く存在するが、それらの目的を以下の3種類のものに大別することができる。

(1)ライフ・サイクル目的。
各自の生涯の中における収入と支出との間のタイミングのずれに対応するための貯蓄のことを指す。自分のレジャー資金、耐久消費財購入資金、結婚資金、住宅資金、老後の生活資金など、子供の教育資金、結婚資金等に備えるための貯蓄が含まれる。
(2)予備的動機。
失業、所得変動等のような収入面の不確実性、病気、自己、災害、寝たきりになること、予想以上に長生きすることなどのような支出面の不確実性に備えるための貯蓄のことを指す。
(3)遺産動機。
子供などに生前贈与や遺産を残すための貯蓄のことを指す。
 (1)と(2)はライフ・サイクル・モデル(life cycle model)と整合的であるのに対して、(3)は遺産動機の性質よってはライフ・サイクル・モデルともに王朝モデル(dynasty model)とも整合的である。生前贈与や遺産が世代間の利他主義(intergenerational altruism)によるものであれば、王朝モデルと整合的であるものの、子供に老後の面倒を見てもらったことに対する見返り(対価)であれば、間説的には老後の生活を賄うために使われることになり、ライフ・サイクル・モデルと整合的である。また、予想以上に早く死ぬ場合に残される意図せざる遺産(unintended bequests)もライフ・サイクル・モデルと整合的である。したがって、各貯蓄目的の相対的重要度を明らかにすることによって、日本においてライフ・サイクル・モデルがより適用度が高いのか、王朝モデルがより適用度が高いのかが分かる。そして、2つのモデルが財政政策や公的年金の効果、人口の年齢構成の影響、資産分配等に関して異なったインプリケーションを持っているため(Barro(1974),Kotlikoff and Summers (1981),p.707参照)、いずれのモデルの適用度がより高いかは経済学者のみならず、政策当局にとっても極めて重要である。

 貯蓄目的に関する選考研究について概観すると、特定の目的に関する理論的な分析又はシミュレーション分析はいくつかある。例えば、Modigliani and Brumberg(1954)から始まる一連の研究は老後のための貯蓄について、Leland(1968)及びSandomo(1970)から始まる一連の研究は予備的貯蓄について、Artle and Varaiya(1978)、Slemrod(1982)、及びHayashi、Ito、and Slemrod(1988)は住宅目的のための貯蓄について、そしてKotlikoff(1989)は病気目的のための貯蓄についてそれぞれ分析している。

 しかし、各目的にための貯蓄に関する実証研究は意外と少ない。数少ない例の1つはKotlikoff and Summers(1981)からはじまる一連の研究である。この一連の研究は、各国の資本ストックのうち、世代間の移転による割合とライフ・サイクル貯蓄による割合を推計しようとしている(文献サーベイについては、Kotliloff(1988),Modigliani(1988),Kessler and Masson(1989),Horioka(1993)参照)。この一連の研究は大変興味深いが、国内投資及び海外への資金提供の財源となるのは貯蓄のフローであるのにも関わらず、貯蓄のストックに着目しているという弱点がある。

 各目的のための貯蓄のフローに着目する例は更に少なく、Ginama(1988)と小川(1991)の予備的動機に関する分析と我々の一連の一連の研究のみである。2)我々の一連の研究についてより詳しく述べると、ホリオカ(1987c)、Horioka(1988)、ホリオカ他(1991)は住宅購入、Horioka(1985)、ホリオカ他(1990a)は子供の教育費、Horioka(1987a)、ホリオカ(1987b)、ホリオカ他(1990b)は子供の結婚費用、Horioka(1990a)、ホリオカ他(1990c)は老後の生活のための貯蓄について分析しており、大竹・ホリオカ(1994)、Ootake and Horioka(近刊)、Horioka(近刊)はこの4つの目的すべて、ホリオカ(1994a)、ホリオカ、横田、宮地、春日(1996)は複数の目的について分析している。

 しかし、本稿の分析は以下の4つの点において先行研究のほとんどよりも優れている。第1に、ホリオカ(1994a)、ホリオカ、横田、宮地、春日(1996)以外の先行研究は、特定の貯蓄目的しか取り上げていないのに対し、本稿は12の主要な貯蓄目的すべてを取り上げている。

 第2に、本稿は、ホリオカ、横田、宮地、春日(1996)以外の先行研究とは異なり、個々の家計に関する個票データを用いている。

 第3に、本稿は、ホリオカ他の一連の研究以外の研究とは異なり、各目的のための金融資産の貯蓄の形の貯蓄のみならず、各目的のための借入返済の形の貯蓄をも考慮している。(借入返済(元本返済分のみ)は正味資産の増加をもたらすため、貯蓄の一種である。)

 第4に本稿は、ホリオカ他の一連の研究以外の研究とは異なり、各目的のための貯蓄をしている家計の各目的のための貯蓄のみならず、各目的のために貯蓄を取り崩している家計の各目的のための貯蓄の取崩をも考慮しており、しかも金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩し、新規借入の形の貯蓄の取り崩し、原価償却の形の貯蓄の取り崩しすべてを考慮している。

 第5に、本稿は、全世帯の場合の結果のみならず、居住形態別の結果も、世帯主の年齢階級別の結果も示している。

 ホリオカ、横田、宮地、春日(1996)は本稿で用いた調査の1992年調査からのデータを用いて各目的のための貯蓄額などを推計しており、上記4点のうち、1点目、2点目、3点目はもうすでに行っているが、4点目、5点目は行っておらず、以下の2点においても、本稿の分析のほうがホリオカ、横田、宮地、春日(1996)の分析よりも優れている。第1に、ホリオカ、横田、宮地、春日(1996)は各目的のための金融資産の蓄積の形の貯蓄を推計する際に、各目的のための金融資産高(初期資産)に関する情報が得られていないため、いくつかの仮定を設けることによって金融資産現在高の総額を各目的の間に割り振っているのに対し、本稿では各目的のための金融資産現在高に関する直接的な情報を用いている。

 第2に、ホリオカ、横田、宮地、春日(1996)では、住宅目的以外の目的のための借入返済額に関する情報が得られていないため、いくつかの仮定を設けることによって、借入返済額の総額、住宅目的のための借入返済額、どの目的のために借入をしているかに関する情報から間接的に推計しているのに対して、本稿では、各目的のための借入額、各目的の場合の返済期間から直接推計している。

 したがって、本稿は貯蓄目的に関する分析の中で最も優れたものであると言えよう。

 本稿の主な分析結果のみを先に述べると、ライフ・サイクル・モデルと整合的である老後目的及び予備的動機のための純貯蓄が圧倒的に重用であり、日本人は各ライフ・ステージにおいてそのライフ・ステージにおいてそのライフ・ステージに見合った目的のために貯蓄または貯蓄の取り崩しをしている。これらの結果は、ライフ・サイクル・モデルの日本における適用度が極めて高いと言うことを示唆する。

 本稿の構成は以下の通りである。第U節では理論的考察をし、第V節ではデータの出所及び計算方法について述べ、第W節では推計結果を示す。そして、第X節では結論を述べる。

U 理論的考察

 本節では、各目的のための貯蓄に関する理論的考察を行う。

 ある目的のための粗貯蓄は(1)その目的を将来実現するつもりの人々のその目的のための金融資産の蓄積 及び(2)その目的を過去において実現した人々のその目的のための借入返済(元本返済分のみ)から成る。同様に、ある目的のための貯蓄の取り崩しはその目的を今期において実現した人々の(3)その目的のための金融資産の引出し及び(4)その目的のための新規借入から成る。家計貯蓄に貢献するのは各目的のための純貯蓄であり、その目的のための粗貯蓄からその目的のための貯蓄の取り崩しを差し引くことによって得られる。したがって、各目的のための純貯蓄の規模は、その目的のための粗貯蓄とその目的のための貯蓄の取り崩しの相対的規模に依存し、その目的のための粗貯蓄がどれだけ大きくても、大きくなるとは限らず、正になるとも限らない。例えば、人口と生産性がいずれも一定であり、相対価格が一定である定常状態にある経済の場合は、ある目的のための粗貯蓄がどれだけ大きくても、その目的のための貯蓄の取り崩しによって完全に相殺され、その目的のため純貯蓄はちょうどゼロとなる。

 住宅、耐久消費財、企業設備等のような実物資産の購入を伴う貯蓄目的の場合は、金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩しと新規借入の形の貯蓄の取り崩しは実物資産の購入の形の貯蓄によって完全に相殺され、このような目的を実現する段階では貯蓄の取り崩しは発生しない。しかし、購入された実物資産に対する減価償却も貯蓄の取り崩しの一種であり、この形の貯蓄の取崩は発生する。3)したがって、実物資産の購入を伴う貯蓄目的の場合でも、その目的のための粗貯蓄はその目的のための貯蓄の取り崩しによって多かれ少なかれ相殺され、定常状態にある経済の場合は、他の目的の場合と同様、前者は後者によって完全に相殺され、その目的のための純貯蓄はちょうどゼロとなる。

 しかし、人口または生産性が増加している、または相対価格が変化している非定常状態にある経済の場合は、各目的のための純貯蓄が正にも負にもなり得る。純貯蓄の5つの構成要因のうち、ある目的のための借入返済の形の貯蓄及び(実物資産の購入を伴う目的の場合は)その目的のための減価償却の形の貯蓄の取り崩しはその目的を過去において実現した比較的高齢の世代(コーホート)によって行われ、ある目的のための金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩し及び新規借入の形の貯蓄の取り崩しはその目的を今期において実現した人々によって行われ、ある目的のための金融資産の蓄積の形の貯蓄はその目的を将来実現するつもりの比較的若い世代(コーホート)によって行われる。したがって、人口または生産性が増加したり、各目的の対象となる財貨・サービスの相対価格が上昇していれば、一方では金融資金の蓄積の形の貯蓄が相対的に大きくなり、減価償却の形の貯蓄の取り崩しが相対的に小さくなり、いずれもその目的のための純貯蓄を正にする方向に働くが、他方ではその目的のための借入返済の形の貯蓄が相対的に小さくなり、その目的のための純貯蓄を負にする方向に働く。つまり、人口または生産性の増加及び各目的の対象となる財貨・サービスの相対価格の上昇がその目的のための純貯蓄を正にするか負にするかは各構成員の相対的規模により、一概には言えないが、借入がそれ程重要ではない目的の場合は、その目的のための純貯蓄を正にすると考えられる。

V・データの出所及び計算方法

 本稿では1994年11月に郵政省郵政研究所が実施した「家計における金融資産選択に関する調査」からの個票データを用いる。この調査は日本全国の20歳以上の世帯主を持つ世帯(単身者世帯を含む)を対象としており、(60才以上の加重サンプルを除くと)標本数は6000世帯、回収数(回収率)は3924サンプル、(65.4%)である。層化多段無作為抽出法によって標本が抽出され、調査員による訪問留置、訪問回収法によって調査が行われた4)

 幸いなことに、この調査には貯蓄目的に関する質問が多数含まれている。まず、以下の12の貯蓄目的について、金融資産の蓄積の形の貯蓄のことが調査されている。

(1)老後の生活に備えるため(以下「老後目的」と略す)
(2)病気、災害、その時富士の出費に備えるため(以下「病気目的」と略す)
(3)子供の教育費に(以下「教育目的」と略す)
(4)子供の結婚資金に(以下「結婚目的」と略す
(5)マイホーム(土地を含む)の取得(立て替え、買い替えを含む)のため(以下「住宅目的」と略す)
(6)耐久消費財の購入資金のため(以下「耐久消費財目的」と略す)
(7)レジャー資金に(以下「レジャー目的」と略す)
(8)納税資金に(以下「納税目的」と略す)
(9)独立自営のための至近に(以下「自営目的」と略す)
(10)と国目的はないが貯蓄をしていれば安心だから(以下「安心目的」と略す)
(11)遺産として残すため(以下「遺産目的」と略す)
(12)その他
 また、10の目的(老後目的、安心目的、遺産目的以外の上記の貯蓄目的及び「生活費のため」)について、金融資産の引出の形の貯蓄の取崩のことが調査されている。安心目的、老後目的については、金融資産の引き出しの形の貯蓄の取崩が調査されていないが、世帯主が60未満の家計の場合は、生活費のための金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩しは安心目的のためであり、世帯主が60歳以上の家計の場合は、生活費のための金融資産の引出の形の貯蓄の取崩が老後目的のためであると見なした。

 さらに、いかの7つの目的について、借入のことが調査されている。

(1)住宅・土地の購入、建て替え等のため(以下「住宅目的」と略す)
(2)子供の教育費に(以下「教育目的」と略す)
(3)耐久消費財の購入資金に(以下「耐久消費財」と略す)
(4)子供の結婚資金に(以下「結婚目的」と略す)
(5)レジャー資金に(以下「レジャー目的」と略す)
(6)病気・災害・その他不時の出費に(以下「病気目的」と略す)
(7)その他
 これらの目的は基本的には老後目的、納税目的、自営目的、安心目的、遺産目的以外の上記の貯蓄目的と対応している。

 前述の分類に従えば、これらの目的のうち、老後目的、教育目的、結婚目的、住宅目的、耐久消費財目的、レジャー目的、納税目的及び自営目的はライフ・サイクル目的、病気目的と安心目的は予備的動機、遺産目的は遺産動機であり、「その他」は分類不可能である。5)前述の通り、ライフ・サイクル目的及び予備的動機はライフ・サイクル・モデルと整合的であり、遺産動機はその性質によってはライフ・サイクル・モデルとも王朝モデルとも整合的である。

 本稿で用いた調査は、各目的のための純貯蓄の各構成要因を計算するために必要な情報すべてを得ている。例えば、各目的のための金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩し及び各目的のための新規借入の形の貯蓄の取り崩しについては、直接調査している。また、各目的のための純貯蓄のそれ以外の構成要因は直接は調査していないが、それを計算するために必要な情報すべてを得ている。

 まず、各目的のための金融資産の蓄積の形の貯蓄について述べると、本稿で用いた調査では、各目的のための金融資産現在高(初期資産)(Wo)、貯蓄目的額(WT)、及び達成目標年(T)が調査されており、これらの変数から各目的のための金融資産の蓄積の形の貯蓄(S)を算出することが可能である。SをT年後までにWTを貯めるために毎年行わなければならない貯蓄のフローとして捉え、金額が年の中央に行われると仮定すれば、S、Wo、WT、T及びr(利子率)の間に以下のような関係が成立しなければならない。

 すなわち、現在からT年後までに行われるSの累計の元利合計とWoの元利合計の和が、T年後までにWTに達さなければならない。

(1)式をSについて解くと、(2)式が得られる。

 この式から分かるように、SはWTが大きく、Woとrが小さく、Tが短いほど大きくなる。この式を用いることによって各々の家計の各目的のための金融資産の蓄積の形の貯蓄Sを算出した。ただし、この式にそって算出したSが負になった場合はSがゼロであると仮定した6)

 以下の理由から利子率rは2パーセントであると仮定した。調査時点の1994年11月における残高が300万円から1000万円の場合の1〜2年物と2〜3年物の定期預金の平均金利はそれぞれ2.199パーセントと2.657パーセントであり、それらの値の単純平均は2.428パーセントである。また、ほとんどの納税者は利子所得の分離課税を選択するため、利子所得に対する税率が20パーセントであると仮定した。したがって、上記の税込みの利子率に対応する税引き後の利子率は1.942パーセントである。

 また、各目的のための借入返済の形の貯蓄(元本返済分のみ)に関する直接的な情報は得られていないが、借入額及び返済期間から間接的に算出できる。具体的には、元本が均等に返済される(返済方式が元金均等型である)と仮定し、各目的のための借入返済額を各目的のための借入額を返済期間で除することによって算出した。ただし、借入は平均すれば年の中央になされるため、返済期間を計算する際に、1年目を0.5年として計上した。

 最後に、持家住宅に関する減価償却の形の取り崩しは、持家住宅(家屋のみ)の時下評価額の7.736585パーセントとして算出した。この償却率は、構造別の償却率の加重平均であり、ウエイトとして、1993年における構造別の住宅の構成比を用いた(出所は総務庁統計局が1993年に実施した「住宅統計調査」)。なお、構造別の償却率は、定率法を用いて構造別の耐用年数から算出した。その際、耐用年数が過ぎるまでに時下評価額の90パーセントが償却され、構造別の耐用年数が以下の通りであると仮定した。「防火木造」22年、「木造」24年、「ブロック造」45年、「鉄筋コンクリート」60年、「その他」(レンガ造、石造など)45年。

 住宅目的以外の目的の中にも実物資産の購入を伴う目的がある(例えば、耐久消費財目的、自営目的など)。しかし、以下の3つの理由からこれらの目的の場合はその目的が実物資産の購入を伴うことを考慮しなかった。第1に、ここで用いた調査ではそうするために必要な情報が得られていない。第2に、日本及び他国の国民所得統計の場合も世帯調査の場合も耐久消費財の購入は貯蓄ではなく、消費と見なされており、もし我々の目的が各目的のための純貯蓄の国民所得ベース又は世帯調査ベースの家計貯蓄に対する貢献度を計ることであれば、耐久消費財の購入を国民所得統計や世帯調査の場合と同じように扱うべきである。第3に、自営目的は企業設備の購入のための貯蓄のみならず、実物資産の購入を伴わない運転資金のための貯蓄をも含む。

 ある目的のためにある形の貯蓄または貯蓄の取り崩しをしていると答えながらもその目的のためのその形の貯蓄または貯蓄の取り崩しの金額(またはその金額を計算するために必要な変数すべて)を記入していない家計の場合は、その目的のためのその形の貯蓄または貯蓄の取り崩しの金額がその金額を記入している(またはその金額が計算可能である)家計のその金額の平均値に等しいと仮定した。

 また、本稿で用いた調査では、各目的のために各形の貯蓄又は貯蓄の取り崩しをしていない家計と、各目的のために各形の貯蓄または貯蓄の取り崩しをしているか否かについて回答していない家計を区別することが出来ない。したがって、全サンプルを分母として用いて各目的のために各形の貯蓄または貯蓄の取り崩しをしている家計の割合を計算すると、この割合が過小に評価されてしまう。そこで、我々は出来る限り、他の調査からの情報を用いてこの割合を調整した。まず、各目的のために金融資産の蓄積の形の貯蓄をしている家計の割合の場合は、1つ以上の目的のために金融資産の蓄積の形の貯蓄をしていると回答した家計の割合に対する総務庁統計局が実施している「貯蓄動向調査」の1994年調査からの金融資産を保有している家計の割合の比率を乗じることによって調整した。同様に、各目的のために借入返済の形の貯蓄をしている家計の割合及び各目的のために新規借入の形の貯蓄の取り崩しをしている家計の割合の場合は、1つ以上の目的のための借入があると回答した家計の割合に対する「貯蓄動向調査」の1994年調査からの負債を保有している家計の割合の比率を乗じることによって調整した。ただし、住宅目的のために借入返済の形の貯蓄をしている家計の割合の場合は、「貯蓄動向調査」の1994年調査からの住宅・土地のための負債を保有している家計の割合をそのまま用い、住宅目的のために新規借入の形の貯蓄の取り崩しをしている家計の割合の場合は、住宅目的のための借入があると回答した家計の割合に対する「貯蓄動向調査」の1994年調査からの住宅・土地のための負債を保有している家計の割合の比率を乗じることによって調整した。なお、各目的のために金融資産の引き出しの形の貯蓄の取崩をしている家計の割合は以下の2つの理由から調整しなかった。第1に、金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩しをしている家計の割合に関する情報は他の調査では得られていないため、この割合を調整することが出来なかった。第2に、貯蓄目的は意識の問題であるのに対し、取り崩し目的は行動(事実)の問題であり、無回答の家計の割合は後者の場合のほうが小さいと考えられる。

 さらに、持家住宅に対する減価償却を計算する際に、総務庁統計局が実施している「住宅統計調査」の1993年調査からの持家率を用いた。7)持家率を計算する際は、分母として普通世帯(主世帯、同居世帯、住宅以外の建物に居住する世帯を含む。ただし、住宅の所有の関係が不詳の世帯を除く。)の数を用い、分子として持家世帯の数を用いた。

 推計結果は全世帯是、居住形態別(借家、持家)、世帯主の年齢階級別(20〜39歳、40〜49歳、50〜59歳、60歳以上)について示す。ただし、サンプルを居住形態別に分類する際は、現在居住している建物を所有していると答えた回答者は持家と分類し、所有していないと答えた回答者は借家と分類し、その質問に答えなかった回答者のうち、現在の住居が持家(一戸建てまたはマンション、土地が借地の場合も含む)と答えた回答者は持家と分類し、現在の住居が親または親族の家に同居、民間の借家(一戸建てまたはマンション、アパート等の集合住宅)、公団・公社・公営の賃貸アパート、社宅・官舎・その他と答えた回答者は借家と分類しいずれの質問にも答えなかった回答者はサンプルから落とした。また、世帯主が60歳以上の年齢階級の場合の結果を推計する際は加重サンプルを含んだサンプルを用いた。

 推計結果を紹介する際は、各目的のための各形の粗貯蓄、貯蓄の取り崩し、純貯蓄の平均値のみならず、平均家計可処分所得に占める割合も示す。平均家計可処分所得は、家計の税込み所得の平均値から家計の税金(所得税・住民税・社会保険料の総額)の平均値を差し引くことによって算出した。また、家計の税込み所得の平均値として、正の値を記入した回答者の平均値を用い、家計の税金の平均値として、正の値を記入した回答者の平均値に税金を払ったと答えた回答者の割合を乗じたものを用いた。平均家計可処分所得は、全世帯の場合は643.3063万円、借家世帯の場合は512.3124万円、持家世帯の場合は702.9775万円、世帯主が20〜39歳、40〜49歳、50〜59歳、60歳以上の世帯の場合はそれぞれ507.6912万円、663.0412万円、814.2634万円、549.2104万円である。

W.推計結果

 本稿では推計結果を紹介する。(1)では全世帯の場合の結果、(2)では居住形態別の結果、(3)では世帯主の年齢階級別の結果をそれぞれ示す。

(1)全世帯の場合の推計結果

 本項では全世帯の場合の推計結果を紹介するが、それに先立ち、各目的のための金融資産の形の貯蓄を計算するために必要な変数に関するデータを紹介する(表1、表2参照)。表1、表2の第(1)列は各目的のために金融資産の蓄積の形の貯蓄をしている家計の割合に関するデータを示すが、この列から分かるように、この割合が最も大きいのは病気目的(58.47パーセント)と老後目的(55.41パーセント)の場合である。また、3位は安心目的(40.70パーセント)、4位は教育目的(36.69パーセント)、5位は結婚目的(21.00パーセント)、6位は住宅目的(14.74パーセント)、7位はレジャー目的(12.16パーセント)であり、それ以外の目的はそれほど重要ではない(8.19パーセント以下)。

 次に、表1(表2)の第(2)列は各目的のために金融資産の形をしている家計のその目的のための金融資産現在高(貯蓄目標額)の平均額に関するデータを示すが、この列から分かるように、いずれの尺度も老後目的の場合に最も大きく、その目的の場合はそれぞれ580.52万円、1,823.41万円、平均家計可処分所得の90.24パーセント、283.44パーセントにも上る。また、いずれの尺度の場合も、住宅目的、遺産目的、安心目的、自営目的も第1群に含まれ、結婚目的、病気目的、教育目的が第2群を形成する。偶然なことに、いずれの尺度の場合も各目的の順位はほぼ同じであり、唯一例外は住宅目的と遺産目的の順位が逆であることである。(前者を基準とした場合は住宅目的が2位であり、遺産目的が3位であるのに対し、後者を基準とした場合はその逆である。)

 また、各目的のための金融資産現在高(貯蓄目標額)の全家計の平均額は表1(表2)の第(3)列、第(4)列にこれらの尺度に関するデータが示されているが、これらの列からわかるように、いずれの尺度も老後の場合に最も大きく、その目的の場合はそれぞれ321.64万円、1010.27万円、平均家計可処分所得の50.00パーセント、157.04パーセント、金融資産残高(貯蓄目標額)の総額の41.28パーセント、42.46パーセントにも上る。いずれの尺度の場合も、2位は安心目的、3位は病気目的、4位は住宅目的、5位は教育目的、6位は結婚目的であり、それ以外の目的はそれほど重要ではない。自営目的と遺産目的の場合は、それらの目的のために金融資産の蓄積の形の貯蓄をしている家計のその目的のための金融資産現在高、貯蓄目的額の平均額は大きいが、それらの目的のために金融資産の形の貯蓄をしている家計の割合が小さいため、それらの目的のための金融資産現在高、貯蓄目標額の全家計の平均額は小さい。

 さらに、表2の第(5)列は各目的のために金融資産の蓄積の形の貯蓄をしている家計のその目的のための達成目標年の平均値に関するデータを示すが、予想通り、遺産目的の値(16.40年)が群を抜いて長く、老後目的の値(13.15年)が2位である。また、安心目的、住宅目的、病気目的、教育目的、自営目的、結婚目的が第2群(6〜9年)を形成し、耐久消費財目的、レジャー目的、納税目的が第3群(3〜4年)を形成する。

 表3〜表7は、各目的のための純貯蓄の各構成要因に関する推計結果を示し、表8では、推計結果が要約されている。表8の第(1)列、第(2)列は、各目的のための粗貯蓄の全家計の平均額に関するデータを示すが、これらの列から分かるように、粗貯蓄の全家計の平均額は老後目的の場合に最も大きく、52.86万円、平均家計可処分所得の8.22パーセント、粗貯蓄の総額の25.72パーセントにも上る。以下、2位は住宅目的(同42.31万円、6.58パーセント、20.58パーセント)、3位は安心目的(同28.89万円、4.49パーセント、14.05パーセント)、4位は病気目的(同28.80万円、4.48パーセント、14.01パーセント)、5位は教育目的(同18.82万円、2.92パーセント、9.15パーセント)、6位は結婚目的(同15.56万円、2.42パーセント、7.57パーセント)である。表3と表4は、各目的のための粗貯蓄の各構成要因に関するデータを示すが、これらの表から分かるように住宅目的以外の目的の場合には粗貯蓄は主に金融資産の蓄積の形を取る。それに対し、住宅目的の場合は、借入返済の形の貯蓄も重要であり、金融資産の蓄積の形の貯蓄を上回る。表3の第(2)列から分かるよに、自営目的と遺産目的の場合は、それらの目的のために金融資産の蓄積の形の貯蓄をしている家計のそれらの目的のための金融資産現在高、貯蓄目標額の平均額が大きいため、それらの家計のそれらの目的のための金融資産の蓄積の形の貯蓄は大きいが、それらの目的のために金融資産の蓄積の形の貯蓄をしている家計の割合が小さいため、それらの目的のための金融資産の蓄積の形の貯蓄の全家計の平均額は小さい。

 表8の第(3)列、第(4)列は、各目的のための貯蓄の取り崩しの全家計の平均額に関するデータを示すが、これらの列から分かるように、貯蓄の取り崩しの全家計の平均額は住宅目的の場合最も大きく、この目的のための貯蓄の取り崩しの全家計の平均額が最も大きく、58.31万円、平均家計可処分所得の9.06パーセント、貯蓄の取り崩しの総額の46.15パーセントにも上る。以下、2位は教育目的(同11.75万円、1.83パーセント、9.30パーセント)、3位は結婚目的(どう9.6万円、1.49パーセント、7.60パーセント)、4位は安心目的(同8.25万円、1.28パーセント、6.53パーセント)、5位は耐久消費財目的(同8.00万円、1.24パーセント、6.33パーセント)である。表5、表6、表7は各目的のための貯蓄の取り崩しの各構成要因に関するデータを示すが、これらの表から分かるように、住宅目的以外の目的の場合は金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩しが圧倒的に重要であり、新規借入の形の取り崩しはいずれの目的の場合も重要ではない。なお、上述の通り、住宅目的の場合は、金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩しも新規借り入れの形の貯蓄の取り崩しも住宅購入の形の貯蓄によってちょうど相殺されるため、持家住宅に対する減価償却の形の貯蓄の取崩のみが発生する。

 表8の第(5)列、第(6)列は、各目的のための純貯蓄の全家計の平均額に関するデータを示すが、これらの列から分かるように、純貯蓄の全家計の平均額が最も大きいのは老後目的であり、この目的のための純貯蓄の全家計の平均額は49.48万円、平均家計可処分所得の7.69パーセント、純貯蓄の総額の62.50パーセントにも上る。以下、2位は安心目的(同23.70万円、3.68パーセント、29.93パーセント)、3位は病気目的(同20.64万円、3.21パーセント、26.06パーセント)である。なお、純貯蓄の全家計の平均額は教育目的、結婚目的の場合もある程度大きく、遺産目的、自営目的の場合は正であるものの、小さく、それ以外の目的(レジャー目的、納税目的、耐久消費財目的、住宅目的、その他)の場合は負である。上述の通り、住宅目的のための粗貯蓄の全家計の平均額は大きく、2位であるが、その目的のための貯蓄の取り崩しの全家計の平均額はそれ以上に大きく、1位であり、その結果、その目的のための純貯蓄の全家計の平均額は大きく負であり、最下位である。すべての目的のための純貯蓄の総額は79.18万円(平均家計可処分所得の12.31パーセント)にも上る。経済企画庁の国民経済計算によれば、日本の純家計貯蓄率は1994年には12.8パーセントであり、各目的のための貯蓄によって家計貯蓄のほとんどを説明することが出来ることになる。

(2)居住形態別の推計結果

 本項では、居住形態別の推定結果を紹介する。表9は、借家世帯と持家世帯の場合の推定結果を示すが、この表から分かるように、目的別の純貯蓄を基準とすれば、借家世帯の場合は1位が住宅目的、2位が老後目的、3位が病気目的、4位が安心目的、5位が教育目的であるのに対し、持家世帯の場合は1位が老後目的、2位が病気目的、3位が安心目的、4位が結婚目的、5位が教育目的である。借家世帯と持家世帯との間の最も顕著な違いは、住宅目的に関してであり、住宅目的のための純貯蓄は、借家世帯の場合は大きく正であるのに対し、持家世帯の場合は大きく負である。住宅目的のための粗貯蓄は借家世帯の場合も持家世帯の場合も大きく、持家世帯の場合のほうが金額も平均家計可処分所得に占める割合も大きい。(当然、住宅目的のための粗貯蓄は、借家世帯の場合は主に金融資産の蓄積の形のものであり、持家世帯の場合は主に借入返済の形のものである。)ところが、住宅目的のための貯蓄の取り崩し(減価償却)は、借家世帯の場合はゼロであるのに対し、持家世帯の場合は大きく正であるため、上述の通り、住宅目的のための純貯蓄は借家世帯の場合のほうがはるかに大きい。

 また、住宅目的以外の目的のための純貯蓄についてみると、教育目的のための純貯蓄は借家世帯の場合のほうがはるかに大きく、老後目的、安心目的、結婚目的のための純貯蓄は持家世帯の場合のほうがはるかに大きく、それ以外の目的のための純貯蓄は居住形態によってそれほど異ならない。これらの違いは、借家世帯の平均年齢が持家世帯よりもはるかに低く、教育目的は老後目的、安心目的、結婚目的よりもはるかに若い年齢でピークを迎えることに起因すると考えられる(次項参照)。

(3)世帯主の年齢階級別の推計結果  

 本項では、世帯主の年齢階級別の推計結果を紹介する。表10は、世帯主が20〜39歳、40〜49歳、50〜59歳、60歳以上の世帯の推計結果を示すが、この表から分かるように、各目的のための純貯蓄を基準とすれば、世帯主が20〜39歳の年齢階級の場合は、安心目的、住宅目的、教育目的、病気目的、老後目的が上位を占め、この5つの目的がほぼ同じくらい重要であるのに対し、それより上の年齢階級の場合は、老後目的が群を抜いて重要であり、住宅目的のための純貯蓄が大きく負である。2位以下の目的についてみてみると、世帯主が40〜49歳の年齢階級の場合は、2位は教育目的、3位は病気目的、4位は結婚目的、5位は安心目的、世帯主が50〜59歳の年齢階級の場合は、2位は病気目的、3位は安心目的、4位は結婚目的、世帯主が60歳以上の年齢階級の場合は、2位は安心目的、3位は病気目的、4位は遺産目的である。世帯主の年齢等よってその重要度が最も異なる目的についてみると、住宅目的は世帯主が20〜39歳の年齢階級でピークを迎え、教育目的は世帯主が40〜49歳の年齢階級でピークを迎え、結婚目的と老後目的は世帯主50〜59歳の年齢階級でピークを迎え、遺産目的は世帯主が60歳以上の年齢階級でピークを迎える。また、各目的のための粗貯蓄、貯蓄の取り崩しを基準とした場合でも、これらの目的の重要度は世帯主の年齢によって大きく異なり、ピークを迎える年齢階級は各目的のための純貯蓄を基準とした場合とほぼ同じであるが、住宅目的と(各目的のための粗貯蓄を基準とした場合のみ)教育目的は世帯主が50〜59歳の年齢階級でピークを迎え、老後目的は世帯主が60歳以上の年齢階級でピークを迎える。

 標本数の関係で各目的のための粗貯蓄、貯蓄の取り崩し、純貯蓄の金額は4つの年齢階級についてのみ推定出来たが、各目的のために貯蓄または貯蓄の取り崩しをしている家計の割合については、5歳刻みの世帯主の年齢階級別のパターンについて見ることが出来る。図1は、世帯主の年齢によってその重要度が最も異なる目的について、各目的のために金融資産の蓄積の形の貯蓄をしている家計の割合を5歳刻みの世帯主の年齢階級別に示すが、この図から分かるように、各目的のために金融資産の蓄積の形を貯蓄している家計の割合も世帯主の年齢階級によって大きく異なる。例えば、レジャー目的のための金融資産の蓄積の形の貯蓄は主に世帯主が20歳代、30歳代、住宅目的のためのその形の貯蓄は主に世帯主が20最大後半、30歳代、教育目的のためのその形の貯蓄は主に世帯主が30歳代、40歳代、結婚目的のためのその形の貯蓄は主に世帯主が40最大後半、50歳代、老後目的のためのその形の貯蓄は主に世帯主が50歳以上の時に行われるようである。また、図1には示されていないが、遺産目的のための金融資産の貯蓄は主に世帯主が50歳代後半、60歳代の時に行われる。8)したがって、日本の家計はレジャー目的、住宅目的、教育目的、結婚目的、老後目的、遺産目的の順で金融資産の蓄積の形の貯蓄をしており、これらの目的はそれぞれの世帯主が20〜24歳、25〜29歳、40〜44歳、50〜54歳、65〜69歳の年齢階級でピークを迎える。なお、結果は示されていないが、各目的のために金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩しをしている家計の割合を5歳刻みの世帯主の年齢階級別に見ると、日本の家計はレジャー目的、住宅目的、教育目的、結婚目的、老後目的の順で金融資産の引き出しの貯蓄の取り崩しをしており、これらの目的はそれぞれ世帯主が35〜39歳、45〜49歳、55〜59歳、65〜69歳の年齢階級でピークを迎える。したがって、日本の家計は貯蓄目的の順番と貯蓄の取り崩し目的の順番は全く同じであるが、老後目的以外の目的の場合は、金融資産の引き出しの形の貯蓄の取り崩しをしている家計の割合がピークを迎える年齢は金融資産の形の貯蓄をしている家計の割合がピークを迎える年齢よりも5歳から15歳遅い。金融資産の蓄積の形の貯蓄はある目的を実現すると同時に行われると言うことを考慮すれば、後者の結果は予想通りである。

 要約すれば、各目的のための粗貯蓄、貯蓄の取り崩し、純貯蓄の金額も各目的のために貯蓄または貯蓄の取り崩しをしている家計の割合も世帯主の年齢によって大きく異なり、似たような年齢別パターンを示している。そして、そのパターンは、日本の家計は各年齢階級において、その時のライフ・ステージに見合った目的のために貯蓄または貯蓄の取り崩しをしているということを強く示唆している。

X・結論

 本稿では、我々は12の目的のための日本の家計の純貯蓄額を推計し、老後目的及び2つの予備的動機(安心目的、病気目的)のための純貯蓄が最も重要であり、日本人は各ライフ・ステージにおいてそのライフ・ステージに見合った目的のために貯蓄または貯蓄の取り崩しをしていることが分かった。老後目的と予備的動機はいずれもライフ・サイクル・モデルと整合的であると言うことを考えれば、これらの結果はライフ・サイクル・モデルの日本における適用度が極めて高いということを示唆する。

 遺産が世代間の利他主義によるものであれば、遺産目的は王朝モデルと整合的であるが、遺産目的のための純貯蓄は純貯蓄の総額の3・23パーセントに過ぎず、遺産目的のための純貯蓄が完全に世代間の利他主義によるものであるとしても、王朝モデルと整合的な目的のための純貯蓄が極めて少ないかのように見える。しかし、遺産目的以外の目的も世代間の移転を伴う場合があることを念頭におかなければならない。例えば、教育目的及び結婚目的は常に世代間の移転を伴い、住宅及び家業が生前贈与又は遺産として子供に残される場合が多いことを考えれば、これらの目的も多くの場合世代間の移転を伴う。そして、これらの目的のための純貯蓄が完全に世代間の利他主義によるものであるとしたら、王朝モデルと整合的である。しかし、教育目的、結婚目的、自営目的のための純貯蓄はそれぞれ純貯蓄の総額の8.93パーセント、7.52パーセント、0.10パーセントに過ぎず、住宅目的のための純貯蓄は負である。しかも、日本では世代間の移転は主に世代間の利他主義ではなく、利己主義によるものであり、王朝モデルではなく、ライフ・サイクル・モデルと整合的であるようである。例えば、Horioka(1984)、Ohtake(1991)、大竹・ホリオカ(1994)、Ohtake and Horioka(近刊)によれば、日本人の生前贈与や遺産は、主に子供に老後の面倒を見てもらったことに対する見返り(対価)であり、間接的には老後の生活を賄うために使われるようである。要約すると、日本では世代間の移転を伴う目的のための純貯蓄はそれほど重要ではないし、王朝モデルではなく、ライフ・サイクル・モデルと整合的である。したがって、最初の結論通り、日本におけるライフ・サイクル仮説の適用度は極めて高いようである。日本では、家族の絆が強いといわれており、世代間の利他主義を前提とする王朝モデルよりも利己主義を前提とするライフ・サイクル・モデルのほうが日本における適用度ははるかに高いという結果は多少以外であるが、Iwamoto(1993)、大竹・ホリオカ(1994)、Hayashi(1995)、Horioka(近刊)、Ohtake and Horioka(近刊)、Horioka,Kasuga,Yamazaki,and Watanabe(1996)及びHorioka(1993)、ホリオカ(1994b)に引用されている文献は異なった分析方法によって同じ結論に到達しており、本項はこの結論を指示する新たな証拠となる。9)

 我々の分析は、なぜ老後目的と予備的動機のための純貯蓄が日本において大きいかについては明らかにしなかったが、次にその理由について考えてみたい。老後目的の純貯蓄が大きい理由として、(1)老年人口(65歳以上の人口)の割り合いが低く、高齢者の労働力参加率が高いため、老後目的のための貯蓄をしている退職前の人々に比べ、老後目的のために貯蓄を取り崩している退職後の人々のほうが少ないこと、(2)人口の高齢化などが公的年金の財政事情を悪化させ、公的年金の給付水準の削減をもたらすという懸念から退職前の人々が老後目的のための貯蓄を多めにしていること、(3)退職後の人々が将来の医療費、介護費、死期の不確実性などを考慮して貯蓄の取り崩しを手控えていることなどが考えられる。また、予備的動機のための純貯蓄が大きい理由として、(1)資本市場、保険市場(生命保険、損害保険など)、社会保険制度(例えば、健康保険、介護保険、雇用保険、生活保護など)の不完全性、(2)地震やそれ以外の自然災害の頻度の高さ(3)人々の危機回避度の高さなどが考えられる。また、(1)についてより詳しく述べると、不時の出来事が発生したときに借入ができなかったり、すべてのリスクに対して保険を掛けることが出来なかったりしたら、人々はより多くの予備的貯蓄をするはずである。

 次に、本項の分析によって、日本の家計貯蓄率の水準と時間的趨勢の決定要因について何が分かったかについて述べておきたい。本稿では日本の家計は具体的な目的(とくに老後目的、予備的動機)のために貯蓄をしているということが分かったが、この結論は、これらの目的のための貯蓄に影響する要因が家計貯蓄率の水準と動向にも影響するということを示唆している。例えば、老後目的に関して言えば、人口の年齢構成、退職年齢(定年)、高齢者の労働力参加率、平均寿命、公的年金、企業年金、退職一時金、個人年金、子供と高齢の親との同居率、子供から高齢の親への援助などが老後目的のための貯蓄にも家計貯蓄率全体にも影響すると考えられる。また、予備的動機に関していえば、資本市場、保険市場、社会保険制度の精微の度合、地震やそれ以外の自然災害の頻度、人々の危険回避の度合、将来に対する不安の度合などが予備的貯蓄にも家計貯蓄全体にも影響すると考えられる。

 最後に、残された課題について述べておきたい。我々は一つの年(1994年)についてのみ各目的のための純貯蓄を推計したが、その年はバブル崩壊後の不況に真っ最中であり、代表的な年であったとは言えない。小川(1991)の分析によれば、予備的貯蓄は第一次石油危機のときに一時的に増加したが、バブル崩壊後の不況のときも同じ現象がおきたと考えられる。また、不況によって、住宅購入意欲が弱まり、住宅目的のための純貯蓄が一時的に低くなっていた可能性もある。この事を調べるためには、他の年についても同じような推計をする必要があり、これが残された課題の一つである。


1)全世帯の場合の結果のみHorioka and Watanabe(1997)でも示されている。
2)Ginamaの分析は日本とアメリカに関するものであり、小川と我々の一連の研究は日本のみに関するものである。
3)土地や土地以外の再生産物不可能有形資産は減価しないため、減価償却の形の取り崩しはないが、供給が一定であるため、必ず売り手が折り、売り手が代金を取り崩せば、その形の取り崩しがある。
4)データの信頼性を調べるために税込み所得と金融資産の平均値を総務庁統計局が実施している「貯蓄動向調査」の平均値と比較し、いずれも非常に近いことからデータの信頼度が高いと判断した。税込み所得(金融資産現在高)の平均値はここで用いた調査の場合は739万円(1726万円)であり、「貯蓄動向調査」の場合は755万円(1592万円)であった(すべて1994の値)。Campbell and Watanabe(1996)は、ここで用いた調査からのデータの信頼度に関するより厳密な分析を行っており、単身世帯の割合が小さすぎる点を除けば、代表的なサンプルであり、データの信頼度が高いと結論付けている。
5)第V節で述べる通り、教育目的、結婚目的、住宅目的、自営目的は世代間の移転を伴う場合があり、そのような場合は世代間の移転の動機によってはこれらの目的は王朝モデルと整合的である。
6)佐藤(1995)は似たようなアプローチを用いているが、貯蓄を目的別に分解していない。
7)この調査は5年に一度しか実施されておらず、1994年には実施されていないため、1993年の調査からの値を用いた。
8)住宅目的の場合は、借入返済の形の貯蓄も重要であり、この形の貯蓄は主に世帯主が30歳代後半、40歳代、50歳代前半のときに行われ、45〜49歳の年齢階級でピークを迎える。
9)Boskin and Kotlikoff (1985)、Hurd(1987)、Altonji,Hayashi,and Kotlikoff(1992)などの分析によれば、ライフ・サイクル・モデルはアメリカに置いても当てはまる。



参考文献(英語文献)

(日本語文献)